銀行の貸し手責任を問う会会報No.7

去る9月9日(土)港区の南青山会館で第二回総会が開催されました。

総会での御挨拶

───世話人代表 野田正穂

まず始めにお詫びしなければならないのは、私たちの会の会則によりますと、総会は少なくとも二年に一回開催することになっており、本来ならば一昨年のはじめに総会をひらかなければならなかったのですが、いろいろな事情で本日まで総会を開くことができませんでした。

総会の開催が大幅に遅れた一つは、代表世話人の山田先生、そして森静朗先生がご病気のためつぎつぎに倒れられるということで、世話人会の体制が大変手薄になったことが、そしていま一つは、会が取り組まなければならない問題がつぎつぎに起こり、多くのエネルギーを投入しなければならなかったこと、です。この点につきましては、何とぞご諒承のほどお願い申しあげます。

四年間の会の活動につきましては、あとで椎名事務局長からくわしく報告していただきますが、この二年間だけでも私たちの会は多くの課題にとり組んできました。  

たとえば、金融被害の実態とその解決を世論に訴え、政治や裁判にも反映させる活動の一環として、昨年の二月には日比谷公会堂で「銀行の貸し手責任を問う二時間劇場騙す」の上演をおこないましたが、会員の皆さんの大きなご協力のおかげで一八00人が参加され、テレビをはじめマスコミが取り上げるなど大きな反響を呼ぶことができました。

また、一昨年の一二月には大蔵大臣の諮問機関である金融審議会で前から問題になっていた金融サービス法の具体的な検討がようやく始まりましたが、私達の会は金融被害の防止と被害者の救済のために、内容のきちんとした実効性のある法律をつくる必要があると国会議員に働きかけ、その結果 、昨年の二月には超党派の議員による議員連盟が誕生しました。そして昨年の一二月には超党派の議員四十三名が国政調査権にもとづいて「金融被害に関する予備的調査の要請」をおこない、被害の実態を明らかにする第一歩とすることができました。

ところで、金融被害の実態を明らかにし、被害者の救済をはかるというのは、何しろ相手が日本を代表する大手の銀行や生命保険、そしてこれらの金融機関と結んでいる自民党政府ですから、まさに山を動かすような活動とエネルギーが必要といえますが、この点でこの一~二年を振り返ってみましても、私たちの会の直接・間接の成果 はいくつもあげることができます。

たとえば、「怒りの手記」第三集にも資料として収録されていますが、今年の三月、金融機関の説明義務違反の立証責任をめぐって東京高裁で画期的といってよい判決がでましたし、また、銀行がすすめようとしている被害者の担保物件の競売についても多くの取り下げを実現することができました。

また、私たちが強く主張してきましたオンブズマン制度、つまり金融商品をめぐるトラブルを裁判以外の方法で迅速に処理する制度の実現については、残念ながら先送りとなりましたが、少なくともこのような制度の必要性は政府も認めざるをえない状況となっており、実効性のあるオンブズマン制度の立法化は私たちの会のこれからの大きな課題の一つとなっています。

さて、変額保険が発売され契約高がピークを迎えたのは一九九〇年から九一年、今年はその十年目にあたりますので、これからも融資付き変額保険の被害者がふえることが予想されます。変額保険をはじめ、今までの金融被害の方の中には、お金と時間がかかり、あてにならない裁判はあきらめ、泣き寝入りをよぎなくされている方も多いと思いますが、欠陥商品やリスク商品を売りつけて生活の根底を破壊するこの人権侵害に対して、今日お集まりの皆さんをはじめ多くの被害者の方々が、欠陥商品の販売を認めた大蔵省の責任を追求し、そして利益第一主義の金融機関の背信行為を許さないと立ち上がっておられることに、心から敬意を表したいと思います。

私たちの会の成果は必ずしも大きなものではないかも知れませんが、泣き寝入りしたら大蔵省や金融機関の思うツボです。 私たちはこれからも被害者の皆さんと手を組んで、金融被害を生み出した巨悪に立ち向かっていく決意でおります。


金融腐敗の構造

──評論家 佐高 信先生

私は「騙す」という劇は拝見していませんが、もちろん騙した人間は悪いわけですけれども、騙した人間や騙した構造を追及すると同時に、騙された自分達の弱さというものを自分達の中で踏まえないと、騙す方を追求する力も弱くなるのではないでしょうか。四十九歳で反戦川柳を作って、戦争中に獄死した鶴彬(つる あきら)という川柳作家がいます。今生きていれば九十幾つの人です。そのひとが「蟻食いをかみ殺したまま死んだ蟻」という川柳をつくっているんですが、そのくらいの激しさというのが、騙す権力に対抗するときには必要なんだろうと思います。

私は今から九年前に、企業のやくざ化とやくざの企業化が、すさまじい勢いで同時進行している、という文章を書きました。とくに、銀行のやくざ化とやくざの銀行化が急速に進行したと、私は思うわけです。

そのきっかけとなったのが、住友銀行による平和相互銀行の吸収合併の件です。平和相互銀行というのは、全くでたらめの融資をしていた銀行でして、それが発覚したときの用心棒に、岸伸介から竹下登にいたる自民党の大物といわれる人に、多額の政治献金をしていたわけです。そこに、闇の世界 がびっちり食い込んでいた。その銀行に関西の雄である住友銀行が目をつける。当時の会長は磯田一郎ですが、大蔵大臣だった竹下登と非常に仲が良かった。しかし当時住友にはまだ少しまともな人がいて、それを代表する方が、当時の頭取だった小松康という人が合併に反対しました。しかし磯田に「お前を頭取にしたのはオレじゃないか」と言われて小松は何も言えなくなる。そこでせめて闇の世界との関係を整理しようと動き出したときに起こったのが、例の住友銀行東京本店糞尿譚事件です。つまり闇の世界からの脅しの合図。磯田はどうしたか。闇の世界との関係を切らずに小松康の首を切った。そこで住友銀行は闇の世界と二人三脚で地上げの道を突っ走っていくわけです。そのすぐあとを富士銀行が追いかけ、三和、興銀、長銀や日債銀が追いかける。

一方、あのバブルの最中に、バブルに乗っかった融資をやらなかった珍しい頭取がいたんです。北洋銀行の武井正直という人です。今は会長になっていますが、二年ほど前に札幌に講演に行ったとき、私に会いたいと言ってきた。私もそういう頭取がいるということを知って、本当に救われた気がしたんです。

武井さんは銀行の内外から儲け損ないと批判される。それでもあえて武井さんは、こんなバカな時代が続くはずはないと思ってやらなかった。ところが大蔵省のバカどもが、武井さんに何回も、もっと融資を増やせと言ったそうです。

* * *

バブルが崩壊し、銀行も闇の世界からお金を取り立てなければならなくなった。そのときに起こったのが、住友銀行名古屋支店長射殺事件です。そのまえに阪和銀行の副頭取が殺されるという事件があった。それで、銀行の経営者たちは、命が惜しいから一斉に取立てをやめてしまった。

では不良債権をどうするか、ということになって、住専問題に始まる公的資金の投入が浮上するわけです。私に言わせれば、不良債権というのは、不良銀行の不良頭取が不良大蔵省と不良自民党をバックにつくったもの。だから彼らに責任をとらせなければいけないんです。

もう一つ申し上げますと、なぜ日本長期信用銀行を助けて北海道拓殖銀行をつぶしたのか。皆さん思い出して頂きたいんですが、金丸信が脱税で捕まりました。あのときに金丸信はどこに金を隠していたか。日本債権信用銀行の発行するワリシンを無記名で買って金を隠していたんです。割引債は無記名で買えるから、金を隠すには好都合なわけです。興銀、長銀、日債銀の三行は同じ種類の銀行だから、日債銀でできることは長銀でも興銀でもできるんです。だから長銀をつぶすと、金丸信と同じようなことをやっている政治家の金隠しが全部ばれる。だからつぶさないで国有化の網をかぶせて、リップルウッドという外資に売り飛ばしちゃうわけです。

私はワイドショーというのには、出ないようにしているんですけれども、一度だけ住専の問題をやるからと、フジTVのビッグトゥデイという番組に出たことがあるのです。ビデオを見てコメントするんですが、京都の暴力団の会津小鉄の組長高山徳太郎という人がビデオでどなっている。スタジオには林家こぶ平、うつみ宮土理(ケロンパ)がいて、こいつらが悪い、警察は何してるんだと言うから、ちょっと待て、この人達は無法者なんです、横文字で言うアウトロー、言ってみれば金を貸してはいけない人です。そこでまさに貸し手責任が出てくるんです。なぜ貸してはいけないというところに銀行は金を貸したのか。

そのときに言ったのは、当時の全国銀行協会連合会の会長の橋本徹と、会津小鉄組長の高山徳太郎とどちらが悪者なのか。こと住専問題について問われれば、私は迷うことなく橋本の方がワルだ、これがわからなければ住専問題はわからない、と言ったんです。

今の日本の問題は、見えにくいワルが、見えやすいワルを利用してつくっている。例えば総会屋の問題にしても、総会屋を利用してきたのは経営者なんです。

もっとひどいのが、ワルの銀行を後ろで操っている大蔵官僚です。私は三年ほど前に「大蔵省分割論」という本を書いたのですけれども、予算と税と金融と、この三つを全部持っているから何でもできる。金融政策の過ちを、税金を使って尻拭いするというのも、三つが一緒になっているからできたことなんです。中島義雄とか田谷広明というたかり官僚のやったことを下半身スキャンダル、歴代の銀行局長の政策的誤りを上半身スキャンダル、この二つが絡み合ってとんでもないことになっているということを書いたわけです。

大事なことは「怒り」を忘れないことです。そのためには、えげつなさを具体的に知ること、政界や企業や官僚どものえげつなさを具体的に知るところから出発するということなんだろうと思います。


第二回総会に出席して

──富士銀行の不当競売を許さない被害者の会 議長
  高田實

九月九日「銀行の貸し手責任を問う会」の第二回総会に出席し、緊急提案として①国会議員との懇談会の開催を実現すること。②この懇談会をふまえて「銀行頭取に貸して責任」をただす会議を開催する努力をすること。③金融被害者が直面 している「競売事件」の法律的根拠に関連して民法第137条「期限の利益の喪失」条項と銀行取引約定書ひな型第5条の「期限の利益の喪失」条項との関連性について「貸し手責任の会」として学問的見地からどのように問題点の所在があるかを追求してみる努力をしてください、という3点にわたる提案が出来たことを「富士銀行の不当競売を許さない被害者の会」の責任者として大変に意義のあったことと考えている。特に③の全銀協が作った「銀行取引約定書」ひな型第5条の「期限の利益の喪失」条項が、上位 の法である民法第137条と矛盾する内容を全面的に展開していることについては今までほとんど取り上げられて来ていなかったことを反省し、学問上ではどう問題を認識できるのか?平成十二年四月「ひな型」が廃止されたこととの関連で銀行約款をどう批判できるのか?等など重要問題が内包されていると考えられる。学者・弁護士・金融被害者と、構成会員の多様性を誇るこの会でなければこの問題についての正しい認識は誕生しないと思う。私も総会において新しく世話人の一人として選出されたので、先輩世話人の方々のご指導を頼りにしながらこの難問に正面 からぶつかって行きたいと決意しているところである。銀行約定書第5条の法的根拠が否定されれば、ほとんどすべての競売事件はその法的根拠を失うことにつながるからである。


正直に生きることができない奇怪な世の中になった

──銀行の不当な競売を許さない被害者の会
  奥田 英雄

戦前の貧しい日本に育った私は、国を守り豊かな未来の為、正直に生きる教育を受け、軍隊生活も経験した。国が敗れて復員したら家が焼け、父も爆死。その事は原因と結果 で明らかな為、腹が立たない。

玄人が素人を騙して土地の地上げを行い、バブルを起し不当な利益を得た銀行と一部大企業、土地が高騰したと世間の批判が出たら、国土法なる法律を作らせ急に土地を下げた。結果 不良債権が全国に増大し、お先真っ暗な日本にした時の権力者は誰も責任をとらない、原因を正さないで結果 のみ論じて税金を投入しても駄目、すべて原因があるから結果がある。少年法もしかり、罪を重くしても解決しない。戦後の教育の結果 だと思う。心の教育を忘れて札束を追う、騙しても札を集める銀行へ、(金融)の玄人が、素人を騙す楽な商売が、おかまいなしで罷り通 る何か奇怪な日本、平和な日本で人を信用して、東京三菱銀行と不動産屋に買い替えを頼んだら、結果 不良債権となった。競売になり終いの住居も失い、借金が残る。正直に生きると戦争中の日本より恐い。憲法に保障されている生存権も絵に描いた餅に過ぎない。亡父の言葉「火を見たら火事と思え、人を見たらドロボーと思え、家を出たら七人の敵がいるぞ」その通 りになった。

借りた者のみが自己責任を負い、騙して貸した銀行に責任なし、奇怪な世の中、残り人生、正直は駄 目を覚えました。


あさひ銀行の罠にはまった

──埼玉在住  UY

私の夫は平成十一年六月に他界しました。犬を連れて毎日散歩をする時、仲良く散歩する老夫婦に出会うとき、まだ涙がでてしまいます。生前、私達も犬を連れて散歩するのが日課であり、楽しみでしたから。

それは平成元年前後に集中して行われた不動産共同投資による五輪建設と埼玉 銀行(現あさひ銀行)の罠にはまった被害者のうちの一人です。相続対策と銘うってホテルを小口化して売りだしそれを融資したのがあさひ銀行です。融資先はあさひ銀行と決まっており銀行支店内で行員から説明をうけ業者との契約も支店内で行いました。その後行員が自宅に夜八時半過ぎにやってきて子会社のノンバンクに変えてくれ、一年、遅くとも三年以内にはあさひ銀行に融資先をもどす、という話しであった。たまたま行員が同じ高校の出身であり、銀行がバックアップしており五輪建設も店頭公開準備中、上司も買っているから銀行を信用してくださいという、強い勧めがあったのです。当時、腎臓不全による人口透析を始めており、体力的に仕事を続けるのが困難になってきていました。バブル期で相続税がどんどん高くなってきていました。学生だった子供達にせめて家だけでものこさないとと心配していました。契約してからわずか二年足らずで五輪建設は倒産。あさひ銀行が手を引いたのです。それからが私達の運命の戦いが始まったのです。ビラまき、前、現頭取の自宅に陳情に何回も行った事、九年のあいだずっと頑張ってきました。契約当時に既に年金生活者や病弱者が多かったため、あさひ銀行はいきなり競売にかけたり、我々の強い何度となく繰り返した陳情により大蔵省の注意をうけ競売を取下げる代わりに裁判をかけてくる、話し合いには、ほど遠い対処ぶりでした。当時の担当行員も全て首にして、それ、なにがなんでも、とりたてろ!という態度です。同じノンバンクにまわされたW氏と二組、あさひ銀行グループとの併合裁判に何年もかかり、裁判が始まってから何人も裁判長が替わりました。五分でいいから我々の心情を聞いてほしいとお願いしても裁判長は皆強者の見方であることがわかった年月でした。夫は裁判にかけられてから、坂道を下るように病院と自宅の往復でした。心筋梗塞でバイパス手術、一年足らずでペースメーカーを入れ、直ぐに難病の急性膵炎から多臓器不全でもがきくるしみながら息をひきとりました。すい臓からでる強烈な消化液でまわりの臓器を次々に溶かしていくのです。胃の中にたまる出血は繰り返される輸血でもまにあわず三回も心臓停止するほどの痛みにモルヒネも量 が多くなる。消化液を出さないようにするため、一滴の水も与えられず口の中は乾ききり、声も出なくなり、生きながら化石になって行く様を家族はただ声をかけてあげるしか出来ない悔しさ、かなしさ、医者から一週間の命といわれながら、裁判が終わるまでは絶対に死ねないよ、死ねないよをうわごとのように言いながら呼吸を止めました。本当に最後まで頑張ったのです。

合併を止め、リテールバンクとして、住宅ローン取り扱い第一になると宣言しているあさひ銀行!又私達の仲間が増えるのではとおそれます。銀行の実態が明らかになってきました。でも本当に恐ろしいのは、被害者になって始めてその怖さがわかることです。

保証人問題に関する判決文をお寄せ下さい

当会編集の怒りの手記第三集でも述べられているように、裁判官に対する不信と怒りは大変おおきなものがありますが、そのもっとも典型的な事例は、保証人問題に対する判決でしょう。銀行のマニュアルでも、保証については、前面 での意志確認が厳守されなければならないとされているのに、裁判所は、印鑑が押されていることの一事で、保証の意思ありとするケースが多いのです。印鑑が押されていることをもって、保証人とされた人が保証の意思あったと考えることは飛躍があります。このような判決で泣いている人は多いと思われます。貸して責任を問う会は、このような判決を批判して、判決を改めさせていきたいと思います。その為に実態を多く集めて、社会に公表していく必要があります。会は、保証人110番も予定していますが、それをうけて、シムポジウムを企画しています。学者の先生には、保証人問題で講演して頂く資料として使って頂く為、できるだけ多くの判決を集めたいと考えています。是非、お心当たりの方は判決文を会までお寄せ下さる様よろしくお願いいたします。


二〇〇〇年活動日誌

●4月12日
 世話人会・事務局会議 四月十四日シムポジウム
 「これでいいの!日本の裁判」 五月十二日世話人会・事務局会議

●6月9日
 世話人会・事務局会議 七月十四日世話人会・事務局会議

●8月23日
 世話人会・事務局会議

●9月9日
 第二回総会

●9月29日
 世話人会・事務局会議

●10月18日
 「金融トラブル連絡調整委員会」に関して
 金融庁総務部企画課課長補佐、係長との話合い

●10月27日
 世話人会・事務局会議

●12月1日
 世話人会・事務局会議