銀行の貸し手責任を問う会会報 No.1 (1996.3.25)

貸し手責任法の早急な制定を「銀行の貸し手責任を問う」会が発足

「銀行の貸し手責任を問う」会がいよいよ発足しました。1月20日東京・港区の友愛会館で開かれた発足集会には188名が参加、用意した椅子が足りなくなるほどで、金融被害の深刻さを示していました。

集会は、山田弘史世話人(名古屋大学名誉教授)の挨拶の後、椎名麻紗枝事務局長(弁護士)が、会を発足させるに至った経過と今後の活動について、次のように報告しました。「サラ金被害と銀行の過剰融資による被害の違いは三つある。一つは、サラ金被害者は比較的若い人が多かったが、銀行被害者は高齢者が多いため、生活を再建する余力も時間も十分には残されていない。二番目は、サラ金と違い、銀行が借金を必要としなかった人に使い道まで提案して貸付を強要している。三つ目は、被害が高額であり、家族崩壊にまで至る深刻な状況が生じている。銀行ばかりではなく、監督官庁としての大蔵省の責任も大きい。銀行は暴力団には言いなりなのに、個人債務者に対する取り立てはきわめて厳しい。とくに最近は競売件数が増えており、債務者は不安な日々を送っている。

会の今後の活動として、1)バブル期の銀行の融資行動及び被害者実態を明らかにする。2)調査・研究活動を通 じて得られた成果をもとに、銀行の貸し手責任を明確化する立法措置を国会や政府に働きかけてゆく、3)問題を社会に広く訴え、社会的支持をえて運動を広めてゆきたい。」

このあと意見交換に入り、変額保険被害者、ライベックス被害者らが発言、銀行の貸し手責任を明確化する必要性を訴えました。

二部の記念講演は立命館教授の長尾冶助助教授が「過剰融資と銀行の貸し手責任」と題し、欧米の例なども引用しながら、「日本は経済は先進国だが法・文化は後進国である。銀行の融資行動に対しても生活重視の法を築いてゆく必要がある」と話されました。

二部の記念講演は立命館教授の長尾冶助助教授が「過剰融資と銀行の貸し手責任」と題し、欧米の例なども引用しながら、「日本は経済は先進国だが法・文化は後進国である。銀行の融資行動に対しても生活重視の法を築いてゆく必要がある」と話されました。


「住専」から貸し手責任へ───山田弘史

「銀行の貸し手責任を問う」会がいよいよ発足し、活動を始めた。1月20日の発足記念集会で確認された通 りこの会は銀行の過剰融資-借金押しつけによる消費者被害に対する銀行の貸し手責任をめいかくにし、被害の回復・予防のための調査・研究・提言の活動を行い、国会と行政に働きかけて被害救済のための立法と制度の整備を実現することを目的としている。3月25日に各政党の国会議員に参加していただいて聞く「フォーラム」は、会の活動の重要な節目である。

住専処理に巨額の税金を投入する政府予算案の国会審議がすすむなかで、国民の怒りが日増しに高まっている。銀行が責任逃れをし、国民にそれを押しつけているのが、住専問題の本質である。では、この住専問題と私どもの「銀行の貸し手責任を問う」会運動とはどのようなかかわりを持っているのだろうか?

まず、この両者は、銀行の過剰融資から発した同じ根の問題であることを認識する必要がある。1970年代半ば頃から、銀行融資の主な対象が中小企業や個人・消費者に向けられ、80年代後半のバブル経済期にそれが節度を失った拡張に走った。住専を通 した迂回融資が膨大な不良債権を生んだのも、消費者被害が多発したのもそのためである。銀行の投機的融資が新興不動産者に集中したためである。

しかし反面、これら二つの問題には全く質の違った点がある。私どもの運動をすすめる上で、このことをよく認識しておかなければならない。

その第一は、住専問題では乱脈融資の直接被害者が住専であり、銀行はその原資供給者として責任逃れの口実にし易い構図があるのに対して、個人債務者への融資は保険会社や新興不動産業者とタイアップして個人債務者に直接融資しており、共同不法行為として被害者が貸し手責任を問う事ができる点である。

その第一は、住専問題では乱脈融資の直接被害者が住専であり、銀行はその原資供給者として責任逃れの口実にし易い構図があるのに対して、個人債務者への融資は保険会社や新興不動産業者とタイアップして個人債務者に直接融資しており、共同不法行為として被害者が貸し手責任を問う事ができる点である。

その第一は、住専問題では乱脈融資の直接被害者が住専であり、銀行はその原資供給者として責任逃れの口実にし易い構図があるのに対して、個人債務者への融資は保険会社や新興不動産業者とタイアップして個人債務者に直接融資しており、共同不法行為として被害者が貸し手責任を問う事ができる点である。


全銀協・大蔵省に要請行動

2月6日「銀行の貸し手責任を問う会」の山田弘史代表世話人ら7名は、全国銀行協会(全銀協)と大蔵省を訪れ、不良債権の原因別 デイスクロージャーを、など4項目を要請しました。全銀協は小泉功男よろず相談所長以下業務、広報、企画部の各責任者が応待、大蔵省は馬渕久一銀行局銀行課総務係長が、忙しいので2、3分だけ、というところを、個人の金融被害をもたらした大きな責任は大蔵省にもあると、30分余り行いました。

全銀協では、「銀行は本来、公共性をもっている。銀行の貸し手責任を問う会は、被害の回復・予防のための調査・研究・提言をする会であって、銀行に敵対する立場にはない。銀行は本来の立場にもどってほしい。」  大蔵省では、「大蔵省は、法人にたいしては税金を投入し救済をはかりながら、個人には、購入物件以外に自宅までも売却して債務を返済しろと指導している。これは許し難いことだ」と、山田弘史代表世話人、椎名麻紗枝事務局長がそれぞれ延べ、両者に対して次のように要請しました。「われわれが問題にしている個人の金融被害者は、銀行の融資姿勢に端を発している。ひと口に不良債権といってもいろいろある。そこで

一、銀行に対し、不良債権の生じた要因別に分類した不良債権をデイスクロージャーさせること。

一、債権償却特別勘定引当金の充当の基準を示し、銀行に、それにしたがった処理を指導すること。

一、債務処理のために公正で迅速な仲裁機関制度を設置すること。

一、自宅などに競売申し立てをされている個人債務者は、このままでは自宅を失うような状態に陥ることになるので、緊急に競売申し立てを取り下げるよう指導すること。

ついで被害者4人がそれぞれ被害の実態を訴え、全銀協と大蔵省に対し、「企業に対しては公的資金で救済するが、個人には厳しく取り立てるというのは許せない」と怒りをぶつけました。


文献紹介

一)銀行の融資責任については、銀行の融資先が主として大企業であったこと(大企業であれば、取締役が経営の専門家として銀行と交渉にあたる)預金や融資につき大蔵省の指導がなされていたことなどから、これまで議論されてこなかった。

このため、銀行の融資責任について本格的に論じられている文献はないといってよい。

しかし、銀行を含めた金融機関の貸し手責任については、当会の世話人である楠本くに代さんの「金融機関の貸し手責任と消費者保護-レンダーレイアビリテイー」(東洋経済新聞社)が1995年に出版された。

貸し手責任という言葉は、「レンダーライアビリテイー」の翻訳である。「レンダーライアビリテイー」とはもともと、80年代以降、米国において多発した金融機関の責任を追及する動きを総称したものであり、金融機関の行為により利用者・消費者等に被害が発生した場合、金融機関の責任を問う社会現象であるとされている。

ここで「レンダー」(貸し手)という言葉が使われているが、単に金融機関の利用者・消費者に対する直接的融資の問題だけでなく、環境破壊を招いた企業への融資という間接的融資に対する責任、相手企業の経営に関与した場合における金融機関の責任等、これまでと比べて金融機関の責任の範囲は広く捉えられている。

二)これまで、銀行などの金融機関を相手に融資責任を追及する場合、相手方は必ず「私どもは資金を貸しただけ」という言い逃れをしてきた。  しかし、貸し手責任(レンダーライアビリテイ)という観念を突破口として、右のような金融機関の言い逃れを許さない理論を考え、銀行をはじめとした金融機関の責任を問う武器を鍛えることが今後の課題となろう。

三)現在、住専の不良債権処理をめぐり、母体行責任、借り手責任なる言葉が新聞紙上を賑わしている。しかし、これらの言葉は、不良債権処理の負担を他者に押しつけるために使用されているにすぎない。貸し手責任という観念を、住専の不良債権処理用に使用される一過性の言葉で終わらせてはならない。

四)1995年7月26日開催された第二回シンポジウムにおいて、当会の代表世話人である山田弘史氏は、「銀行の融資のあり方と過剰融資の生じた背景」という報告の中で、右著作をはじめ次のような参考文献を紹介している。

[参考文献]

●三木谷良一 「銀行の公共性と社会的責任」
(全国銀行協会連合会「金融」 1992.3)

●角瀬・斉藤・平田・野田 「銀行の社会的責任と民主的規制」
(銀行労働研究会「銀行労働調査時報」93.7)

●渋谷・北条・井村編著 「日米金融規制の再検討」
(日本経済評論社、1995)

●高田太久 「米国-地域再生法をめぐる最近の情報」
(銀行労働研究会「銀行労働調査時報」  1992.7)

●楠本くに代 「金融機関の貸し手責任と消費者保護-レンダ-ライアビリテイ」
(東洋経済新報社、 1995)

(宮田隆男)


会員アンケートのまとめ