銀行の貸し手責任を問う会会報 No.4
 


 

● ビッグバンと消費者
 ───代表世話人 山田弘史

 金融ビッグバンがマスコミの上でハヤリ言葉になっています。日本の金融がアメリカや西ヨーロッパに比べて遅れているからこれを「大改革」しようということのようです。しかし戦時中に軍国主義のスローガンに踊らされてひどい目に遭った私どもの世代から見ると、ハヤリ言葉がもてはやされる時にはつい眉にツバをつけて考えて見たくなるのです。
 ビッグバンとは簡単に言えば銀行、証券、保険など金融機関同士の垣根を取り払い、もろもろの規制を外して自由に金融商品を売り出せるようにするということでしょう。そのための新しい金融商品が業者間の大サービス競争のもとで売り出される。そこで一般 に言われることには、金融機関は商品の持つリスク(危険)をお客に十分説明する義務があるし、お客の方でも自己責任に基づいてそれを選択、購入するのが当たり前だ、というのです。それは本当でしょうか?消費者の目でそれを考えてみましょう。
 まず、消費者の自己責任とはなにか?元本保証のない金融商品の販売−購入」での一方の当事者はたしかに消費者個人ですが、自らの責任で購入できるのにはそれだけの社会環境が必要で、その前提なしに無限定に自己責任が強調されることは社会的不公正です。変額保険や不動産共同投資の金融被害を生んだのはそうした環境のもとでした。だはその前提とは何かといえば、それは販売側の説明義務であり、安全規制のための法・制度の整備です。たとえばアメリカでは金融商品の販売側の自主規制団体が、お客の「投資目的、財産状態、必要性につき合理的に調査した上で適切な」商品を販売すべきだという「適合性の原則」をルールとして定めていますし、消費者信用について消費者を保護する法体系が長年の積み重ねで整備されています。
 これに対してビッグバンを高唱する日本の現状はまことに不備、不可解です。とりたてて安全規制のないままに大銀行が証券市場に進出し、リテール(個人向け)分野での利益拡大を狙っているからです。消費者保護法の法・制度の整備が今ほど必要な時はないのです。

 



●金融を自らの手に
 ───日本大学名誉教授  森 静朗

護送船団方式
 これまでの大蔵省の金融機関に対しての行政指導は護送船団方式の採用と強化であった。競争をせず横並びに銀行や金融機関は安全なもの、つぶれないものという考え方を浸透させていった。護送船団方式によって中小金融機関を保護したという弁もあるが、実は横並びで、一番得したのは大銀行であって。高金利高コスト体質の中小金融機関を温存させることによって、その分だけ利益を増大させ、金融引き締め期になれば、その中小金融機関からコール資金を取り入れて、自系列企業への安定したおこなうことができた。融資集中機構を強化し、三菱、三井、住友、三和、富士(芙蓉グループ)、第一勧銀グループが形成されて強大な競争力をつけることが出来た。大蔵省の金融機関の取り扱いも、都銀、地銀、相銀(第二地銀)信金、信組と位 階の高いもの規模の大きいものから順次に番付表に合わせて、新商品の販売にあたっても、業務の許認可にしても大きいものから先にして、最後の残り物を小規模金融機関に与えるという仕組みがとられていた。
 日本の金融機関に対する制度や仕組みは、企業金融中心であって、生産金融がが主体であって。高度成長を支えるのも大企業を中心に都市銀行が、中堅企業優良中小企業に対しては地方銀行、第二(相互)銀行が対応し、小企業・零細自営業のために信用金庫、信用組合が位 置づけられていた。企業金融・生産金融を中心に日銀、大蔵省の指導、監督が実施されていた。
 金融機関の個人の預貯金は、勤労者、サラリーマン、公務員、家庭の主婦、年金生活者が主体であってその額が増大しているのに、消費者金融は金融機関の片手間であり、いまだに低成長時代といわれるなか不況期に入っても金融行政指導は企業金融一点張りで、方向転換がなされているということは聞いていない。
 預貯金金利は史上最低であるため大口預金は海外に流出したり、外貨預金にシフトしたりするが小口預貯金者はロットが小さいために、シフトに要するのに手数料がとられ、為替変動があるために、超低預金金利でもじっと我慢しているありさまである。その超低預金金利は金融機関の収益を増加させて、過去の不良債権の処理に利用している。こんどは公的資金(一般 の市民が負担するもの)で、自己資本を充実させるために用いられるという。(かつてなりふりかまわぬ 貸出が巨額の不良債権としてこげつき、利潤拡大化のためなら何でもするヤクザまがいの商法。あるいはヤクザと結託した行動)
 とにかく、大蔵行政にしろ、日銀の超低金利政策にしろ、市民を犠牲にした金融機関の擁護であった。最近では大銀行と大企業の優遇策が表面 化し、端的に言えばカジノ資本主義を代表するビッグバン政策もその一つである。
 “物言わぬ市民”のためなら、それを踏みつけても、超低金利で叩き、悪徳商法まがいの商品を売り出して、市民の生活を混乱に導いている。企業金融から市民金融への方向の行政や政策はまだ打ち出されていない。
 金融機関が企業金融に拘束されているために、ノンバンクの威勢が活発で、株式上場会社も増加して、収益も最高を示している。
金融を見つめる目
 金融機関もまた、自主性、自立性、自律性が乏しく、護送船団方式に長い間飼いならされたせいか、積極的に、市民の立場に立った姿勢や行動はみられない。最近のテレビ・新聞の話題になっている官・金融機関のなれあいや、接待漬け、たかり漬けに代表される社会悪のうみが摘出されている。
 金融機関の最低の原則として、健全性、安全性、社会性、公共性、収益性はどこへいったのか、いつのまにか最大の利益をあげるためには何をしてもいいという発想が、蔓延してしまっている。預貯金者、利用者、市民によって成り立っているという考えはなく、上は頭取から下は職員まで収益性のための餓鬼道に陥ちこんでしまっている。ジンメルは、貨幣には「正義・公平・愛・合理性」が必要であると強調し、古典派自由化論の祖といわれるアダム・スミスは、自由競争の基礎の「国富論」を実践する場合には他方に「情操道徳論」の必要性をあげ、競争とモラルの併存を説いている。秩序とは、社会の一員として、法にたよらずに、自らが厳しく守る自立的行動基準である。それを失った場合、市民社会は厳しい法に拘束されるだけの人間性や暖かさ自主性や自律性を失ったものになってしまう。最低のルールは法に守られながら、自己努力によって自らの社会を形成するため協力が必要である。
 金融機関は、自らの体質を明らかにするディスクロージャーが必要であり正確さを合理的に判断するための市民の代表を含めた監査組織を形成し、「いつでも」「どこでも」「誰にでも」情報は公開され、市民のために何をし、何をしたのかを示す必要もある。
 市民は、金融機関や、金融行政に対する監視の目を強めて、「寄らば大樹の木のかげ」や「長い物には巻かれろ」の負け犬意識を脱却して、自分達の要求を、もっと政治に行政に求め反映させることを迫る必要もある。
 金融を自らの手に戻すことは、金融腐敗をなくする大きな手段でもある。
 市民のための金融の確立が市民の手で形成されなければ外資を含めた強い圧力がしのび寄る懸念も生まれつつある。

 



●金融ビッグバンと消費者保護
 ───法政大学教授 野田 正穂

 昨年いろいろ問題になっていた金融ビッグバンは、いよいよこの4月から、本学的な具体的に向けて動き始めます。すでに銀行持ち株会社の設立は3月から可能になり、4月にはマスコミが「コンビニでも外貨両替ができる」と宣伝する外国為替取引の自由化が開始され、更に、今年の12月施行をめざして銀行窓口での投資信託の販売や自動車などの損害保険の料率を自由化する銀行法など関連法規の改正も準備されており、金融ビッグバンはまさに「めじろ押し」の状況となっています。
 このように、日本版の金融ビッグバンは証券だけを対象としたイギリス版と違って、銀行・保険・証券などの金融の広範な分野に渡っているため、その狙いは何か、金融システムはどのように変わるのか、国民生活にどのような影響をもたらすのか、といった金融ビッグバンの旗ふりをつとめた政府の金融関係五審議会が昨年6月に発表した「改革の具体的視点」です。その中で、金融ビッグバンの狙いを「金融自由化の思い切った総仕上げを行うことを中心とする極めて広範かつ抜本的な市場改革」であると述べています。
 そうだとすると、金融ビッグバンを1982年に成立した中曽根内閣以来、歴代の内閣が押し進めてきた金融の緩和・自由化政策の延長線上に位 置づけてとらえることが必要になります。しかし、マスコミも多くの解説書も、このような観点から金融ビッグバンの本質を掘り下げ、検討はしていません。政府の宣伝をそのまま下敷きにして、「1200兆円の個人金融資産の争奪戦がはじまる」などと、金融ビッグバンの現象面 をあれこれと論じているにすぎないのです。
 ここで、中曽根内閣以来の金融自由化の背景を振り返ってみると、1970年代末以降の資本主義の経済の低滞(低成長への移行)と不安定化(変動相場制への移行)、そして金融面 では金あまりのもとで、大企業の「銀行離れ」と銀行の資金運用難がすすみ、国際的な投機活動が盛んになりました。そして、株式の時価発行や転換社債の発行が活発化し、証券会社の収益は銀行を大きく上回る増大をとげました(バブル崩壊まで)。
 このようななかで、大銀行は新たな収益機会を求め業務の多角化をはかるため、証券業務への参入を強く要求したのです。当時の金融自由化の焦点となった銀行、証券などの間の「垣根」を低め撤廃する業務分野規制の自由化は、1993年に業態別 子会社方式による相互参入、経済の多角化を進めることになりました。
 いま金融ビッグバンで大きな問題になっている銀行持株会社の解禁、銀行窓口での投資信託の販売も、以上のような流れの中でとらえる必要があるといえます。そして、政府や財界が狙っているのも、個人金融資産の多くがアメリカのように株式や社債、投資信託で運用されるようになれば、証券市場は活性化し、直接金融のパイプは太くなる、その結果 、銀行の不良債権処理は容易になり、大企業の低コストの資金調達(96年の時価転換社債表面 率は最低で0.15パーセント)も可能になるというわけです。そのため、まず比較的安定性が高い公的社債投資信託(証券総合口座)、次にリスクの高い株式投資信託や株式そのものを受け皿に、個人の貯蓄行動に地殻変動を引き起こそうとしているのです。
 いま金融機関が宣伝している金融商品の多くは、元本割れのリスクのある商品ばかりです。たしかに、超低金利の預貯金とくらべると、今のところそれを上回る「利回り」となっていますが、永続する保証はありません。金融商品に対する選択の余地が広がるということは、リスクを蒙る(場合によってはだまされる)可能性も大きくなるということです。とくに、銀行がその信用を利用してリスクのある投資信託の窓口販売をおこなうことは、アメリカでも多くのトラブルが発生しているように、きわめて問題といわなければなりません。
 この点で注目されるのは、イギリスは金融ビッグバンの開始と同時に投資家保護に関する種々の規定も盛り込んだ金融サービス法を制定したことでしょう。日本でも、金融制度調査会の答申などが金融サービス法に言及していますがいよいよ金融ビッグバンが本格化しようというのに、政府や金融業界のこの問題への取り組みはいたって消極的です。消費者の新たな金融被害を防止するためにも、金融機関の不当な勧誘行為(誇大宣伝や誤解を招く説明)を禁止し、その専門家としての立場・責任を明確にし、消費者が必要とする情報の開示を徹底させ、金融取引に関する監視機関の強化をはかるなど、消費者の立場に立った金融サービス法の制定が早急に必要になっています。

 



● 被害者の声届き   個別訴訟から集団訴訟へ
 ───あさひ銀行被害者の会 柴原 美知代
 あさひ銀行は「これが銀行のやることか」と思われる手口で高齢者に年収の10倍から100倍もの過剰融資を押し付けました。倒産寸前の建設会社と手を組んで「相続税対策に最適」と私たちを騙したのです。その建設会社が倒産するとあさひ銀行は手のひらを返して担当の行員や支店長を隠し首をすげ替えて借金返済を迫り担保の自宅に競売をかけてきました。
 私たちは平成8年7月に大蔵大臣に対し、あさひ銀行の不当な融資の実態調査と業務改善命令等の権限発動を求める申し立てをしました。その一ヶ月後大蔵省検査が実施されたのです。大蔵省は同年10月「速やかな解決に向けて話し合いをするように」と指導を併合審理を求めて裁判所前の訴えを行いましたが、銀行は同年一二月一斉に競売を取り下げたのみでした。あさひ銀行の不正が大蔵省の銀行検査官によりもみ消されたと知り唖然としました。悪事を隠そうと宮川検査官の接待にかかわったのが伊藤頭取だったとは呆れ果 てます。
 私たちは一昨年十二月から個々に理不尽な裁判にかけられ苦しめられていました。私たちは裁判所の前で横断幕をを持ちビラを配り、雨の日も雪の日も銀行の不正を訴え、併合審査を要求し続けました。各自の裁判長宛になれぬ 手紙を書きました。その結果私たちの願いが裁判所に通じ、去る二月二四日あさひ銀行被害者の会の集団訴訟が始まり、九二歳の被害者ら三人が法廷で切々と訴える機会が与えられました。三月四日埼玉 県議会では土屋知事が「事態の推移を見守った上であさひ銀行に罰則も」と答弁し同五日の与野市議会でも他の市と歩調を合わせて考えるという答弁でした。確実に世の中が動き裁判所も変わりつつあるということを肌身に感じています。私たちは銀行の貸し手責任を追及し命ある限り闘います。



● 真実を知ることからいかりを・・・・・
 ───(変額保険被害者の会員から)
 二月早々のことですが、弁護士の先生を先頭にして銀行被害者の一団が大蔵省に申し立てに行きました。私もその中の一人に入っていたのですが、銀行局の責任者は私たちに会おうとせず、押し問答の末にようやくキャリアとおぼしき若造が一人玄関口まで下りてきて対応しました。結局その日は大蔵大臣宛の申し入れ書を手渡しただけの成果 しかなかったのですが、その対応の短い時間に、銀行局銀行課の若造の中にキャリア官僚の芽を見たように思いました。
 私たちは平成8年7月に大蔵大臣に対し、あさひ銀行の不当な融資の実態調査と業務改善命令等の権限発動を求める申し立てをしました。その一ヶ月後大蔵省検査が実施されたのです。大蔵省は同年10月「速やかな解決に向けて話し合いをするように」と指導を併合審理を求めて裁判所前の訴えを行いましたが、銀行は同年一二月一斉に競売を取り下げたのみでした。あさひ銀行の不正が大蔵省の銀行検査官によりもみ消されたと知り唖然としました。悪事を隠そうと宮川検査官の接待にかかわったのが伊藤頭取だったとは呆れ果 てます。
 私たちは一昨年十二月から個々に理不尽な裁判にかけられ苦しめられていました。私たちは裁判所の前で横断幕をを持ちビラを配り、雨の日も雪の日も銀行の不正を訴え、併合審査を要求し続けました。各自の裁判長宛になれぬ 手紙を書きました。その結果私たちの願いが裁判所に通じ、去る二月二四日あさひ銀行被害者の会の集団訴訟が始まり、九二歳の被害者ら三人が法廷で切々と訴える機会が与えられました。三月四日埼玉 県議会では土屋知事が「事態の推移を見守った上であさひ銀行に罰則も」と答弁し同五日の与野市議会でも他の市と歩調を合わせて考えるという答弁でした。確実に世の中が動き裁判所も変わりつつあるということを肌身に感じています。私たちは銀行の貸し手責任を追及し命ある限り闘います。



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