銀行の貸し手責任を問う会会報 No.3
 


 

● 銀行被害の回復・予防にむけて
 ───代表世話人 山田弘史

去年の1月20日に発足した「銀行の貸し手責任を問う会」は、新しい第二年目を迎えました。慌ただしく過ぎたこの1年でしたが、顧みると私どもが歯がみをして口惜しかったあのひどい銀行被害の救済については、ある程度の前進的な成果 が出てきました。変額保険訴訟で、だましや不法行為によってむりやり押しつけた融資を無効とする銀行全面 敗訴の判決が出されたり、不動産共同投資事件で大蔵省の指導により銀行との話し合いへの道が開けたりしたのがそれです。被害者の生活の基盤を奪おうとした二次担保の自宅競売も、東京三菱銀行の競売延期(Tさん事件)あさひ銀行の競売取り下げ(五輪被害者事件)と銀行側の後退が見られました。
 これらの銀行被害救済の成果には、本会の会員弁護士の、原告代理人として、また大蔵大臣への、権限発動申し立て代理としての献身的活動が直接に関与していたし、会員である被害者とそのグループの勇敢な抗議行動や、シムポジウムや講演会、研究会など数々のイベントを通 じた会自身の精力的な社会への働きかけが大きく影響していたといえましょう。有森さんのように「自分をほめてあげたい」とまではいきませんが、私どもの会の活動が一定程度の社会の理解、支持を頂き、日本に根付いていなかった「貸し手責任」の概念をひろめたことをお互い喜びたいと思います。国会での委員会質問や内閣への質問趣意書が私どもの活動を力づけて下さったこと、被害者グループ同士の交流がすすみ、大蔵省正門前での二百人規模の抗議大集会が実現したこと、日弁連の人権大会で貸し手責任がメインテーマにとり上げられたこと、などの重要事件が、96年の会の記録ファイルに綴じ込まれました。
 ことし、97年は、銀行被害の回復・予防への提言という会本来の目的へ、会は歩みをすすめます。発足1周年の1月20日、会は「銀行取引消費者保護法」制度を求める提言を国会各党と政府に行いました。「冬きたりなば春遠からじ」と詩句に申します。明るい明日を信じて、手を携えて進みましょう。

 



●銀行と消費者の取引を律する法制定への提言

1.はじめに
橋本首相は11月11日、金融分野全般にわたる規制緩和策「わが国金融システムの改革」を2001年までに実施するよう指示した。また首相の諮問機関である経済審議会は12月3日金融分野を含む6分野の経済構造改革についての建議を首相に行った。
 しかし、この指示および建議の中には消費者を保護するためのシステムの構築に関する言及はなにもない。
規制緩和は
1)不当な規制を廃し、市場の知恵に委ね、利用しやすく高質で低価格の商品・サービスを提供すること、
2)市場の原理に委ねていては消費者を市場の弊害から守ることのできない分野では安全規制を強めること、 という二つの相反する要請を満たすものでなくてはならない。
 米国では1960年代から1970年代にかけて、消費者の金融取引を保護する統一消費者信用保護法という安全規制を整備され、その上に立って自由化が推進された。我が国はこの手当を全くしないまま自由化に突入したため周知のようにバブル崩壊を機に、消費者と銀行の取引に関わる被害が多発しいまなお新たな訴訟が提起され、苦情が解決されぬ まま山積している。
 2001年にむけての「金融システム改革」にはこの教訓が生かされねばならず、銀行取引消費者保護法不在のまま規制緩和がすすめられというようなことが二度とくりかえされてはなららい。我々消費者は以下のような法の制定を提案するとともに、2001年に向けての「金融システム改革」の検討項目に銀行取引消費者保護法の立法を加えることを要請する。
2.金融取引における消費者保護法の実態
3.苦情と訴訟の実態
 (1)苦情
 (2)訴訟
4.立法の方式
5.立法の理念
6.立法の四つのフレームワーク
 第一:取引の保護
 (1)融資
  (一)過剰融資の禁止(貸金業法13条、割賦販売法第42条の3参照)
  (二)銀行に対する抗弁(割賦販売法第30条の4)
   (三)担保の制限
   (四)書面の交付(貸金業法第17条、割賦販売法第4条等)
   (五)信用情報
   (六)取立行為の規則(貸し金業法第21条)
   (七)担保権の実行
   (八)クーリングオフ(割賦販売法第4条の3)
   (九)行為規制
  (2)資金移動
   (一)事故・障害により損害が生じた場合の当事者間の責任関係
   (二)無権限取引
   (三)瑕疵ある意志表示、無能力
  (3)預金
   (一)預金取引の条件の開示
   (二)預金保険機構と消費者保護
 第二:クレーム処理(クレーム処理機関の設置と役割)
 第三:銀行の社会的責任(銀行の社会的責任と達成度の評価)
 第四:統一法へ向けての法的手当

7.おわりに

補:電子商取引の法整備について

文責  楠本 くに代

 



●コモロフスキー氏を迎えて

アメリカにおけるレンダー・ライアビリティ(貸し手責任)訴訟の先駆者である女性弁護士フランセス・E・コモロフスキーさんを迎えて、当会主催の講演会が、平成八年10月28日代々木八幡区民センターで開かれた。
 コモロフスキーさんは、同年10月24日、大分県で開催された第39回人権擁護大会に招請されて来日した。今回の人権擁護大会の第二分科会は(銀行と消費者−融資者責任の確立をめざして」という、当会が取り組んでいる問題をテーマとしていた。コモロフスキーさんは、来日後同年10月22日、大阪で弁護士らとの懇談会、同月24日、人権大会に出席した後、東京で当会主催の会合に臨んだ。
 コモロフスキーさんの講演は、通訳を介してのインタビュウ形式で行われた。内容は、アメリカでのレンダー・ライアビリティ訴訟の発端、経過そして現在の状況など多岐にわたったが、その概要は次のとおり「はじめて依頼者から相談を受けたのは、1980年代はじめころで、融資拒絶の事件であった。1980年代以前は、銀行が借り手を訴えるケースがほとんであり、借り手が銀行を訴えることなど考えも及びもつかないものであった。アメリカでも当時、銀行の信用は厚く大きな力を持っており、訴訟の見通 しは必ずしも明るくはなかった。当時はレンダー・ライアビリティという言葉さえなく、「銀行の業務上の過誤について」と言っていた。
 しかし、銀行の不当な仕打ちを許せないという気持ちで、依頼者と協力し裁判で成果 をあげることができた。陪審員に懲罰的賠償が認められ、銀行に大きな打撃を与えることができた。
 1980年代、アメリカでは、借り手が銀行を訴えるレンダー・ライアビリティ訴訟が多発して、借り手が勝訴するようになった。この背景には、不況と規制緩和というアメリカの経済事情があった。銀行の貸付競争ははげしくなり、これまでとは銀行の融資の仕方が変わってしまった。日本で今問題になっていることは、当時のアメリカの状況と同じと思われる。アメリカの経験から学べることもあるはず。
 アメリカのレンダー・ライアビリティ訴訟では、銀行員の証言や内部資料などで銀行の融資の問題点を訴えた。マスコミの報道などで、銀行も悪いことをするんだということを皆が知り始めた。陪審員の共感を得たことも大きい。裁判官にも銀行の実態を分かってもらう努力をした。陪審員も裁判官も、自分の銀行取引の経験から学んだ点があるのではないか。
 銀行のレンダー・ライアビリティ訴訟で敗訴するようになり、銀行は以前のようなひどいことはしなくなった。このため、以前と比べて、訴訟提起の必要性も少なくなったといえる。しかし、アメリカでは、レンダー・ライアビリティ訴訟はLL(製造物責任)訴訟と同様すでに確立された法分野となっている。」
 コモロフスキーさんは、長時間にわたって熱心にインタビュウに答え、最後に、集会に参加していた銀行被害者の人たちに対して、力強い励ましのメッセージを送っていた。M

 



● 銀行被害者交流会に出席して
───変額保険被害者 H・A
9月30日の夕刻、南青山会館で初めての銀行被害者交流会がひらかれました。100人以上の被害者が、加害銀行の名札のまわりに着席したのですが、高齢者も多く、被害の深刻さと長期化が大きな社会問題となる事をうかがわせました。
 「銀行の貸し手責任を問う会」の山田教授から、「当会に集まってきた被害者が、今度は被害当事者の立場で、独自の活動を展開し、銀行の貸し手を追及して被害回復を計るきっかけに、今夜の会がなって欲しい」と激励の挨拶をいただきました。
 来賓としていらしたのは、薬害エイズの闘いで名乗り出て訴えた事で、劇的な運動の広がりをつくった川田龍平さんのお母さんの川田悦子さんでした。
 川田さんは、龍平君が小さかった時からの話も交え、我が子が薬害によって身体を蝕まれ、絶望しかかりながらも、同じ境遇の仲間と励まし合い、そして何故こんな目に遭わなければいけないんだ、という怒りをばねにして少しづつ強く生き、闘うことができるようになった事を語ってくれました。
 金もうけ主義のミドリ十字などを各銀行に、無責任な医者などを生保やプランナーなどに、業界と癒着する厚生省高級官僚を大蔵官僚に、置き換えれば、構造的には同じものであり、殺人行為の薬害と、間接殺人の銀行被害とが、ダブッて見えてきました。
 川田さんが訴えたのは、怒りだけではありません。被害者が一人残さず救済されるために、分断を許さず、まとまって大きな力となることが、大切なのです、と自らの体験から何度も説かれました。それは、まさしく私たちが、今後目指してゆく方向だと思いました。それなくしては社会問題化する事もないだろうし、そうしなければ結局、社会から抹殺され銀行の良いようにされ、個別 に家を追われ、消えていかざるを得なくなってしまう所謂弱い私たちでしかないのです。
 この交流会で、怒りをばねに、被害者がまとまって一つの大きな力とならなければいけない、と薬害エイズの闘いから学んだ私たちは、早速名簿を作り、大蔵省での行動など、次の行動へと踏み出しています。
 被害者は是非、結集されたし!



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