会社潰し、自宅競売……私はRCC(整理回収機構)の
無法回収の横暴許さない!!
会社経営者の長女(愛知県在住)が悲痛な訴え
弁護士に宛てたRCC被害者の手紙全文

椎名麻紗枝殿

RCC被害者の手紙
拝啓 早春の候、ますますご健勝のこととお喜び申し上げます。
 前回、椎名先生にお手紙を書かせていただいてから約三年が経ちました。その間、椎名先生には心強いお力添えをいただきましたことを心より感謝申し上げます。
 しかしながら、この度、父の会社(ヤマコウ産業株式会社)の借金返済のため、RCC(整理回収機構)により自宅を競売にかけられる結果となりました。
 突然、新聞に自宅の住所が掲載され、かってに売りに出されてしまうという現実を目のあたりにし、目の前が真っ暗になり、自分の中の何かが音を立てて、崩れていくような恐怖にさいなまれるのと供に、RCCへの強い怒りで身体中が震えました。
 突然、新聞に自宅の住所が掲載され、かってに売りに出されてしまうという現実を目のあたりにし、目の前が真っ暗になり、自分の中の何かが音を立てて、崩れていくような恐怖にさいなまれるのと供に、RCCへの強い怒りで身体中が震えました。
 RCCは、これまで家族を苦しめ、大切な家族の絆を奪おうとし、家族全員の夢であった会社を廃業に追い込んできました。そして、今回、自宅を売却されるというひどい仕打ちを受けたのです。
 未来のあったヤマコウ産業を不当な手段で取られ、自宅売却となった今、私には、これ以上失うものはありません。
 けれど、私には守り抜きたいものがあります。それは大切な家族の絆と、常滑焼の伝統を受け継ぎ、世の中に評価される商品を造ってきた窯屋の長女としての誇りです。
 私は、家族全員の心からの笑顔と安心して眠れる日々を取り戻す為、あきらめることなくRCCと闘い続けたいと思います。
 そして、椎名先生には更なるお力添えをいただきたく、このお手紙を書かせていただきました。
 RCCとの闘いが始まってから、約七年になろうとしています。
 ヤマコウ産業の借金が、常滑信用金庫からRCCへと安い値段でジャってに売却されてからというもの、私達は常にRCCからの競売するぞ≠ニいう脅しを受けてきました。
 けれども、その間、私たちは厳しい現実と向き合いながらも、真面目に努力をしていました。
 当初のRCCとの話し合いでは、五年間での返済計画≠ニのことでした。
 そして、当時のRCCの担当者は良い息子さんを持ちましたね≠ニ父に言ったそうです。それ程、兄の実力を認めていました。そのような話を聞き、私たち家族も、国の作った「企業の再生」を方針とするRCCを信頼し、必死に借金返済の為に努力をしてきました。
 ヤマコウ産業は、土日、盆、正月も働き続け、取引先が認めて下さる程の商品を作り、利益を出してきたのです。そして、その間、父と兄の給料はほとんど無く、ひたすら借金返済に当ててきました。
 製陶業というのは、通常の仕事でさえ厳しいものです。それにもかかわらず、昼夜関係なく働き続ける父や兄を見て、もしかしたら、あまりの激務で過労死してしまうのではないか≠ニ毎日不安で仕方がありませんでした。
 時間になっても、起きて来ない父を心配し、何度も寝室に様子を見に行きました。そして、イビキが聞こえると、例え疲れが見てとれる寝顔であっても、良かった。生きている!!≠ニ安心するのです。日常生活どころか、「生命」の心配をしなければならない毎日だったのです。
 日本の憲法に、社会的・経済的弱者が、「人間に値する生活」を営むことのできるように、国家の積極的な配慮を求めることのできる「社会権」があります。そこには、「健康で文化的な最低限の生活を営む権利」と記者されています
 しかし、私たちは、「国の作ったRCC」に騙されて、真面目に借金を返済し、「国の作ったRCC」から競売するぞ≠ニ脅かされ続け、自らの利益を得るための早急な返済の要求により、会社を廃業に追い込まれたのです。
 そして、裁判所においても、裁判官はRCCの保護にあたり、こちらの主張などなるで無私をしてきました。国に守られ、痛みを受けることのない人達の演じる出来レース=Bこのような人達が優遇され、疑問を抱くことなく胸を張って生きている現実。
 それに比べ、安心して眠ることも、笑うことも出来ず、家族の信頼関係や絆さえも失いかけ、苦痛だけを味わってきた私たち家族。
 そして、ついに私の母は、ストレスによる不整脈の為、心臓にペースメーカーを入れて生きることになりました。
 私も未だに原因不明の痛みにより、月の半分は痛み止めの薬を飲んで、仕事を続けている状態です。そして、あまりにもひどい痛みを感じる日は会社を休み、寝ていることしかできません。ペースメーカーに頼らないと呼吸一つ満足に出来ない母、医者で何度、診察を受けても、対処法の分からない痛みがあり、不安を抱えて生きなければならない私……。健保で保障されている「健康で文化的な最低限の生活」が山本家のどこに存在するというのでしょうか。
 私も長い間、社会に出て働いてきた人間です。「分別」という言葉の意味は充分に理解をしているつもりです。
 もし、ヤマコウ産業がRCCに潰されて当然の会社であったなら、このようにRCCに闘いを挑むことはなかったでしょう。
 けれど、ヤマコウ産業に!!祖父母から受け継いだ常滑焼を守る≠ニいう強い信念、夢、希望……。それは、山本家だけの願いではなく、本物の良さを知る取引先の方々の願いでもありました。
 ヤマコウ産業は、窯の修理をするために返済を遅らせることさえ許されず、廃業に追い込まれました。
 しかし、その時、取引先の方から、窯の修理代はいくらかかるのか≠ニいう申し出を受けました。子のように、言っていただける会社が、一体どれくらいあるでしょうか?それ程までにヤマコウ産業の商品は認められていたのです。
 そして、まだ数ヶ月前、愛知県西尾市に住むある女性の方から、突然お電話をいただきました。その女性は、以前に数回、ヤマコウ産業の工場に訪れ、それ以来、ずーっと急須を使って下さったそうです。しかし、急須が壊れてしまし、いろいろなお店で同じ物を探してみたけれど、やはり、ヤマコウ産業の急須が使いやすく、どうしても購入したいと思い、自宅の電話番号を調べて連絡をして下さったそうです。そして、どうしてもヤマコウさんの急須が欲しいから、同じ物が残っていたら、10個でも20個でもあるだけ全て購入したい≠ニ言って下さいました。
 その時、電話に出ていた私は、その言葉を聞き、思わず涙ぐんでしまいました。ヤマコウ産業はまだ終わっていない!会社も商品も生きている!常滑焼の伝統は守られている……と。
 これほどの評価を受け、真面目に借金を返済してきたのにもかかわらず、一体、何故、ヤマコウ産業は廃業しないといけなかったのでしょうか?RCCとは何のために作られて会社なのでしょうか。
 企業を再生するどころか、自らの利益を得るために多くの企業や家庭を苦しめているRCCのどこに存在価値があるというのでしょうか。不当な脅しにより、私たちを日常生活すら満足におくることが出来ない状態に追い込んでおきながら、その悪事が罪に問われることなく、当たり前のように利益を上げている現状が許されて良いのでしょうか。
 日本が、世界に誇る文化や伝統、産業、技術などを受け継ぐために必死で努力をしている人達を苦しめ、衰退させているRCCに日本の未来や「企業の再生」を語る資格があるのでしょうか。自分の手で物を創り出すことのできない国のどこに魅力を感じられるのでしょうか。
 私の祖母は、自分たちの作ったヤマコウ産業という会社と常滑焼を心から愛し、暑い日も寒い日も、体調を崩し、医者に外出を止められている日でさえも、会社に通い続けました。そして、従業員の方たちのために、お茶やお菓子を用意していました。
 東京に修業に出ていた兄が常滑に戻り、ヤマコウ産業では仕事をしはじめてしばらくしたある日、祖母はいつものように会社に行き、事務所の椅子に、横たわり、そのまま意識がなくなりました。祖母は、最期の最期までヤマコウ産業と常滑焼を守り続け、その未来を兄に託して亡くなっていったのです。
 先日、テレビで小泉元首相がご長男に地盤を譲る段取りをされているというニュースを見ました。ニュースキャスターは、嬉しそうな小泉元首相を見て、ほほえましい≠ニコメントをしていましたが、私にはどうしても、そのような気持ちになれませんでした。
 小泉元首相の作ったRCCという悪質な会社によって多くの企業が潰され、多くの家庭が、日常生活を送れなくなる程、悲惨な目にあっているにもかかわらず、自分は地盤固めに奔走し、未来をご長男に託されている様子を見て、怒らずにいられるでしょうか。
 私の祖母も、会社と常滑焼の未来を兄に拓史、兄もまた実績を上げ、借金を返済していながら、その未来をRCCに奪われたのです。
 そして、私たちは、絶望のどん底に突き落とされました。まるで、生きながら、殺されたようなものです。この苦しみ、痛み、怒り、悲しみが小泉元首相には届いているのでしょうか。
 私は小泉元首相に、もし、まだRCCを作った責任感と元首相としての誇りが残っているのなら、RCCの悪事を調べ、全てを世の中に公表し、被害を受けた方に、謝罪をすると供に、RCCに対する適切な処置を取っていただきたいと強く、強く願っています。
 そして、一人でも多くの方が安心して日常生活を送ることが出来るよう、ご配慮をいただきたいと思います。
 私は、ヤマコウ産業に対し、正当な判断≠フもとに、正当な要求≠ェ成されるまで、決してあきらめることなく闘いを続けたいと思います。
 椎名先生、今後ともどうぞ宜しくお願いします。

 末尾ではありますが、今後の先生のご活躍をご健康を心より願っております。
                                    敬具
     平成21年3月3日
                           村山 知子<仮名>