阪神淡路大震災とローン問題
                            弁護士 辰巳裕規(神戸)

1.破産記録より

※当事務所の弁護士が「現在」扱っている破産事件記録から。

 【事例1】女性(60代パート)・夫(60代・パート)と夫名義の賃貸で2人暮らし・
収入計約17万円・借金4社約220万円。平成7年に震災のため住居が倒壊・一事県外
に転居・夫(当時自営業)の収入も大幅に減少・生活費のためにカードによる借入が増加
…(夫も住宅ローンその他負債あり)

 【事例2】男性(60代年金・一人暮らし)・負債7社約7000万円。元会社経営者・会社(青果販売)の保証人。大震災の混乱により店舗が倒壊し4ケ月間仮店舗営業を余儀なくされた。顧客先となっていた小売店が廃業し売七が急激に落ちこんだ。知人より当座の運転資金を借り入れた。その後スーパー等の進出で経営難。
 
 【事例3】男性(60代・年金)(妻60代年金と子(障がい者))の3人暮らし(親族名義の家)。負債5社約8400万円。電線加工業の会社経営者で保証人。「神戸大震災では会社は全壊し、自動車や機械類すべてなくしました。この後、会社の新たな借入の保証人になりました」。その後中国勢の進出で仕事がとられるようになりました。
 
 【事例4】男性(41歳・アルバイト)・妻(アルバイト)・月収合計約24万円・債権10社約3000万円・うち神戸市災害援護資金貸付約250万円有り(保証人は父)。以前からカードローンは利用していたが大工の仕事の収入で返済できていた。阪神大震災に被災しアパートが壊れた。神戸市より災害援護資金を借り入れ家具等を購入した。その後自宅をローンで購入した。大工の仕事は震災後一事増えたがその後落ち込み返済が苦しくなった。妻が家計をやりくりするためサラ金から借入をしうつ病となり働けなくなった。住宅ローンの返済に行き詰まった。

2.日栄「商エローン」事件陳述書より

 【事例1】私は、●●(株)の代表取締役です。昭和44年ころから主に空調工事の下請けを中心に個人事業をしていたのを、昭和56年末ころに株式会社にしたものです。従業員は、ピーク時には20人近くおりましたが、現在(平成12年)は、私の外2名になってしまいました。
 ●●(株)は、三菱重工の下請け工事を主としており、法人成り後も経営は比較的順調でした。ところが、平成7年1月の阪神大震災により、得意先のビルが崩壊したり、取り壊しになるなどしたため、仕事が激減しました。そこで、新たに大阪ガスの下請工事などをするようになったのですが、これまでの空調工事に比べて請負代金が低く採算が大変悪いものばかりでした。時にはただ働き同然の工事もありましたが、仕事がないよりはましでした。この様に震災を契機に資金繰りが悪くなっていた平成7年4月か5月ころに、同業者と資金繰りが苦しい旨を話していたところ、同業者が、「100万円や200万円ならすぐに貸してくれるところがある。」と言って紹介してくれたのが、商工ローンの日米でした。私は、その話を聞いてすぐに借りようとは思いませんでしたが、同業者が日栄の担当者に私のことを紹介したらしく、その話から問もなく日栄の従業員が、事務所にやってきました…私は、当初、四ケ月で手形を決済をするつもり、短期のつなぎ融資のつもりでした…しかし、いつの間にか利子だけで年間400万円にものぼる事態になってしまい、利息の支払いが経営を圧迫するようになりました。平成10年には元本が1000万円に膨れあがっていました…私同様に不況・貸し渋り、そして震災によりただでさえ、経営難な上に、商エローンの高利息で苦しむ中小零細事業者に少しでも明るい希望を与えることができたら良いと思っております。

 【事例2】私は、●●の屋号でケミカルシューズ加工業を個人で営んでおります。従業員は、パートを含め20名程度です。昭和48年10月ころから開業しております。私は和57年より、日栄から融資を受けております。当時、取引先の会社が不渡りを出し、その結果、私も資金繰りに苦しんでおりました。そこで、これまで手形の割引をしてもらっていた鞄栄から融資を受けたのです。それまでに鞄栄からは、電話やパンフレットで融資の勧誘が頻繁にありました…この様に高利息の支払ばかりを鞄栄に対して続けており(元金は全く減りません)、また震災以後、特に経営が悪化したことにより、●●は窮地に陥りました…高金利に苦しむ中小事業者のためにも、裁判所による救済をお願いする次第です。

3.災害援護資金貸付滞納の問題

※災害弔慰金支給法に基づく貸付制度 東日本大震災の特例法では、無利子化(保証人有)・無保証化(利率年1.5%)とされ、据置期間や免除要件が緩和された。

◆神戸新聞ネット記事より

◇震災の災吉援護資金、4人に1人なお返済中(2010年10月5日)
 (http://WWW.kobe-np.co.ip/news/shakai/0003508400.shtml)
 
阪神・淡路大震災の被災者に国と自治体が貸し付けた災害援護資金で、4人に1人が返済を終えていないことが、兵庫県のまとめで分かった。返済期限は10年。被災やその後の景気低迷の影響などで返済が滞り、震災から15年以上が経過した今も、負担が重くのしかかっている現状が浮き彫りとなった。
 災害援護資金は、自治体が全半旗世帯に上限350万円を貸し付ける制度で、原資の3分の2を国が負担。県内では1995年から約5万6400件(約1309億円)の利用があった。
 県のまとめでは今年3月現在、全額返済されたのは約4万700件(約1063億円)。全体の25%にあたる約1万3900件(約209億円)が返済途中だった。このうち約2100件(約40億円)は、借受人の破産や死亡などで回収の見通しがたっておらず、残りの約1万1800件は、毎月の返済額が千円単位など少額だという。
 借受人、保証人とも死亡するなどで返済が免除されたのは1865件(約37億円)。自治体から国への償還は2006年に始まる予定だったが5年延長され、県などはさらなる延長と免除要件の緩和を求めている。
 被災者の相談に応じている市民団体「阪神・淡路大震災救援・復興兵庫県民会議」は、
 「今も返済できていない人は本当に生活が苦しい。行政側の人件費も回収額に見合っていない」として、近く国などに未返済分の免除を要望する。
 (岸本達也)
(2010/10/05 08:20)
◇災害援護資金未返済債務者ら43人提訴へ 西宮市
http://www.icobe-np.cojp/news/shakai/000307980S.shtml
 西宮市は、阪神・淡路大震災の被災者に貸し付けた災害援護資金15件について、返済が滞っている債務者や連帯保証人計43人に対し、返還を求めて提訴する方針を固めた。転居などで所在不明の債務者も多く、2011年度末の償還期限を前に民事上の時効も迫る中、提訴で時効延長を図る考え。
 市によると、災害援護資金貸付金は8934件で総額約203倫5500万円。09年度未時点で未収になっているのは2638件約38倫8千万円といい、全体の約2割に上る。被災者の経済状況を考慮し、返済を5年間据え置いたため、その間に連絡がつかなくなったケースも多いという。
 貸付15件金の償還期限は10年だったが、06年に5年延長され11年度未になった。貸付金は国と県が出資しており、債務者からの返済がない場合は市に返済義務が生じる。
 市は今年1月にも18人を提訴。うち2人は連絡が付き、分納による返済を始めた債務者もいるが、その他は所在不明で出頭しないまま判決が確定しているという。
 県社会援護課によると、昨年9月末までの県全体の未収件数は1万4373件、総額216億2384万3453円に上る。
 (広畑千春) (2010/06/11 10:15)

◇滞納者に法的措置 災害援護資金で神戸市(2004/08/09)
http://www kobe-np.co.jp/kobenews/sougou04/0809ke41940.html

 阪神・淡路大震災の被災者に自治体が貸し付けた「災害援護資金」について、神戸市は九日までに、収入などがあるにもかかわらず滞納している借受人約二十人に対し、法定手段をとることを決めた。うち四人について、十日にも支払い督促の申し立てを神戸簡易裁判所に行う。裁判所の命令に応じない場合は、財産の強制執行などで債権回収を図る。
 同資金は被災世帯に国と自治体が無担保で最高三百五十万円を貸し付ける制度で、二〇〇〇年度から償還が始まっている。○六年度中に三分の二を負担する国への返済期限が迫っていることから、今回の措置を決めたという。
 未償還額は百三十二億円(三月末)で、このうち、毎月払える分を返済する「少額返済」者を除いた六十五倫円が滞納状態という。今回の対象となる二十人の平均は約二百五十万円。五月に弁護士名で法的措置の予告を送付している。
 同市は「毎月少額でも支払う人もおり、このままでは不公平感が出てしまう。やむにやまれず厳しい手段をとることになったjと話している。

4.阪神大震災と破産・自殺・失業

◇自己破産が過去最高県内2000年度分(神戸新聞2001/11/27)
http://www.kobe-np.co.jp/rensai/saimu/001 .html

 借金が返済できず、裁判所に債務免除を求める自己破産の中立件数が、兵庫県内で二〇〇〇年度に六千件近くに上り、四年連続で過去最高を更新したことが分かった。阪神・淡路大震災(一九九五年)翌年の三・五倍に膨れ上がり、同じ期間の全国の伸び(二・四四倍)を上回った。全国最悪水準の失業率、近畿地方で最低の有効求人倍率などの悪条件が、被災地を中心に個人の生活を直撃している現実が浮かび上がる。
 神戸地裁管内のOO年度の自己破産申し立ては五千九百二十一件。前年度から千四百八
十二件増えた。株価が下がり始めるなどバブル崩壊の兆しが表れた九〇年度と比べると、約十三倍と激増している。
 OO年度の全国の自己破産中立件数は十四万五千二百七件。前年度に比べー万八千二百五十八件増えた。
 県内での申し立てのうち「貸金業関係」を理由としているのは四千六件で、全体の約68%。この割合は震災後、大きな変化はなく、毎年70%近くで推移している。
 兵庫県の九月の有効求人倍率は○・四五倍で、和歌山県と並び、近畿で最低。被災者らの相談活動を続ける市民団体の話では、震災後、特例として返済が猶予されていた災害援護資金や、自治体が被災中小企業を対象に行った災害復旧融資などの返済が始まっていることも背景にあるといい、「消費者金融で借りて返済している人もいる」と指摘する。
 自己破産に詳しい司法書士の岡田直人さん(神戸市中央区)は「周囲でも、震災が理由でない破産案件はごく少数だ。中でも自営業はひどい。震災まで一円の借金もなかった居酒屋経営者が、震災で休業した間の生活費を消費者金融から借り、自己破産したケースもある」と話している。

◇「倒壊大震災で住宅ローンはどうなったか」(島本慈子著・ちくま文庫版)
 「1998年3月末の時点で、地震被害を受け、住宅金融公庫から「返済条件の変更」を受けている人は三千八百八十八人だった。返済猶予の期限がすぎて、その四千人近い人たちはどうしているのだろう?公庫にたずねると、それぞれ個別に対応しているため、「返済条件の変更を受けた方が、その後どうなっているか、とりまとめた資料はございません」とのことだった。九八年一二月以降は、震災特例とは別に、全国的なリストラ策として「返済期間の延長」などの措置がとられているので、その制度を使って当面の返済額を減らし、切り抜けている人もいるかもしれない。しかし、最高裁の統計によれば、神戸では自己破産が増えている。神戸地裁管内の自己破産(新受件数)は、二〇〇三年に一万一○四六件。震災直後の九六年と比べると、全国の自己破産件数が四・二倍になったのに対し、神戸は六・五倍にふくらんだ。また、住宅金融公庫から災害復興融資を受けた阪神・淡路大震災の被災者のうち、ローンを返せなくなり、公庫の保証協会が一括して代位弁済をおこなった件数も、二〇〇一年度に二五三件、二〇〇二年度には二八九件と増え続けている。思わぬ災難にみまわれると家計の余力が問われる。震災の打撃は、とりわけ、弱い人々を苦しめる。震災から十年がたって、かつて中流と呼ばれてきた人々もまた、復興組と、取り残された組とに分かれてきた。その二極分化はそのまま、いまの社会の流れを映し出している…(文庫版あとがき・2005年)」

◇マンション再建、平均2170万円阪神大震災住民調査(朝日新聞1999年9月27日朝刊) 
 一九九五年一月の阪神大震災で全半壊し、その後再建(建て替え)をした分譲マンションの住民千人を対象に、朝日新聞社は、その経済的負担や再建に参加したことへの評価などを聞くアンケートを実施した。再建に要した費用は一戸平均二千百七十万円。これに新居が完成するまで賃貸住宅に仮住まいしていた人はその家賃を加えると、持ち出しは平均して二千五百万円余に達していた。また、再建までに以前のマンションのローンの払いが終わっておらずレ再建で「ニ重ローン」を背負うことになった世帯が四割近くあり、回答全体から震災の痛手の大きさが浮き彫りになった。
 再建マンションの住民にこれだけの規模で、負担や意識に関する調査をしたのは初めて。再建にあたっては、建て替えか補修かなどをめぐって住民の合意づくりが難航したマンションも多い。この調査でも、半数を超える住民が、建て替えの是非を判断する客観的な基準づくりや第三者による調停制度の必要性を訴えた。マンションが集中する都市部の大災害に備えて、行政の取り組みが課題になりそうだ。
 兵庫県によると、震災で全半壊した分譲マンションは百七十二棟。そのうち百棟が今年八月までに再建した。ほかは補修ですませたところが大半だが、再建をあきらめて土地を処分したところが数棟ある。アンケートは再建を終えたマンションのうちの七十七棟の千二人から回答を得た。
 再建にかかった費用は、建設費だけで一戸平均二千百七十万円。千五百万円から二千五百万円までにほぽ半数が集中し、四千万円以上も約五%あった。この中には公費でまかなわれた被災マンションの解体費用は含まれていない。また再建マンションの大半は「優良建築物」として共用部分の建設費も国や自治体から補助されており、それによって住民の個人負担は二割程度は軽減されているとみられる。
 このほか再建までにかかった費用としては、五四%の世帯が賃貸住宅に入居し、平均で総額四百万円の家賃を支払っていた。それ以外は仮設住宅や親せき・知人宅に身を寄せていた。
 再建した時点で、被災した旧マンションのローンの支払いが残っていたのは全体の三八%。その残額に再建費が新たに加わり、ローンは膨らんだ(グラフ略)
 調査では、六割以上が預貯金を取り崩すなど、住宅の再建で家計に余裕をなくしていることも裏付けられた。将来の見通しについても「不安がない」と答えた人は一二%にとどまった…(以下、略)

◇自殺の連鎖に歯止めかからず(神戸新聞:2003/07/29)
http://www.kobe-np.co.jp/rensai/sui_yutakasa/030729.html

 (中略)被災地は依然高水準
 阪神・淡路大震災の被災地、県内十市十町の自殺者数は、震災後の一九九七年から増加顛向に転じ、九八年に過去最高の八百七十八入に上った。その後はやや減少傾向にあるものの、震災前に比べ、依然として高い水準にある。
 兵庫県保健統計に基づき、地域別分析をした結果、神戸市は、十年前の九二年に二百二十一人だったが、震災後の九八年には百五十五増の三百七十六人に急増。○一年は三百十人と減ったものの、四年連続、三百人台で推移している。
 人口十万人当たりの自殺率で比較すると、九七−○一一年までの五年間の平均で、灘(31・1人)、兵庫(36・4人)、長田(27・7人)の三区が、神戸市内でも突出。同時期の全国平均(23・3人)や県平均(2 2 ・ 3人)も大幅に上回った。
 また、阪神間では、尼崎市が九八年に百四十七人(自殺率30・7人)と目立ち、O一年も百二十五人(同26・9人)と四年連続で百人を超える高水準。○一年の統計でみると、淡路島一市+町の自殺率が31・6人で、被災地で最悪となった…(以下略)

失業率の推移

5.いわゆる「二重ローン」対策について

◇「二重ローン」という用語について
○「二重ローン」という用語は、貸与型(ローン)支援を当然の前提としてしまっている↑「給付型」支援が原則ではないか?(例:被災者生活再建支援法は生業被害には出ない)↑新たな借入がもはやできない人(二重ローンもできない人)は救済されないのか?
○「二重ローン」という用語は、住宅や生業・零細事業に既に多額のローンを抱えていることが前提となっている。
↑既に抱えているローンの負担から免れられないことが前提となっている。
※「結果」としての(救済されなかった結果の)「二重ローン」状態

◇「平成の徳政令」とは

○目標
・・・「既存債務(既往債務)からの解放」と「生活・事業再建支援」
○「破産」「再生」との関係
現行法では「自己破産」「民事再生」・・.「資産を手放す」「保証人」「ブラックリスト」などマイナスが多すぎて選択できない(地域性も?)。また、うちひしがれた被災者に「破産しかない」と告げること自体が罪悪。もっとも破産法・個人再生法を改正し簡易な手続で、また手元に残る自由財産を拡大し、保証人も保護できる利用しやすい破産・再生手続を設けるべきである。
○破産しなくてもよい仕組み作り
(1)金融機関等による自主的な債権放棄・免除を後押しする(税制・監督指針)
(2)債権買収機構構想・・・あくまで被災者支援が第一義的(債権放棄・免除)
(3)私的整理(ADR)
(4)給付型の支援(災害救助法の正しい運用・被災者生活再建支援法の改正)
※被災地地域金融機関への支援
○(連帯)保証人の責任免除を
・自分だけでなく保証人に迷惑をかけることが苦痛
・必ず保証人も救済しなければならない。先に保証人を免除することだけでも(心理的)負担を軽減できる(少なくとも返済可能性がそもそもない事業者向け融資の第三者個人保証を免除できないか)

6.必ず被災者支援のための「二重ローン」対策の実現を

◇前掲「倒壊」より
…2 国はそのとき何をしたか
 「家が無くなり、ローンだけが残った。そんな人たちをどうするのか、国会でも連日、熱い議論が繰り広げられた。そして−。実際にとられた方策とはいったい何だったのか」
 「…大手銀行の行員、Mさん…を驚かせだのは、「ローンを借りていた家が無くなった」という相談だった」

「国会では「家が壊れてローンが残った」多数の被災者について質疑がくりかえされた…」「さらには切々と「借金をチヤラにせよ」と訴える意見が出されたが、結局、住宅ローンを抱えた人が救われる方法は自己破産しかないのかと、話は展開していく」
 「大阪の弁護士を中心に「震災救済法研究会」…メンバーが議論するなかで出てきた[震災特例の債務免除にしたらええやん。こういう緊急事態には、昔から徳政令があったし」という意見には反論が集中した。免除するといっても、ローンの残高がそれぞれ違う。その不公平感をどうするのか。それにパプルの頂点で家を買い、法外な住宅ローンに呻吟している人は日本中にいる。被災者だけ債務を免除するということが、その人たちの共感を得られるのか」
 「そんなんせんかって自己破産という制度があるんだから、それを利用したらいい」と主張する声もあった。
 「しかし、被災者の救済法として考えた場合、破産には明らかなデメリットがある。それは、破産すれば『身ぐるみはがれる』ということだ」
 「そこで浮上してきたのが「清算事業団」の構想だったという」
 「家が壊れてローンが残った被災者は、ローンとローンの担保になっていた不動産(倒壊した住宅の敷地)を清算事業団に譲渡する…普通は敷地を手放してもまだ2000万円のローンが残るが、その借金はチヤラにして免責してしまう…・ローンを免責するかわりに清算事集団が求めるのは、ローンの担保になっている不動産だけで、被災者がそれ以外に特っている財産には一切手をふれない…「買取り機構」という名称が考えられた」」
 「この『身ぐるみはがれない自己破産』『マイナスではなくゼロからの再出発』のアイデアは、1995年2月6目、大阪弁護士会が行った『阪神大震災被災者救済のための緊急提言』に生かされている。その提言には『住宅ローン債務についての買取り機構の設立』という項目があり…また日本住宅会議(岸本幸臣理事長)は、95年2月7日付で発表した『阪神大震災の住宅復興に関する緊急アピール』のなかで、『罹災者の住宅ローン残存債務の免責』を要請した」
 「巨額のローン負担によってしか住宅を手にできなくしたのは政府の持ち家政策の結果であり国民の責任ではない。その破綻の責任は政府自らが負うべきこと」
 「そして…『買取り機構』は誕生しなかった。一体どういう経緯で買取り機構のアイデアがつぶされたのかと取材を試みたのだが、どこかで誰かがつぷしたという形跡はない」

◇「過去の被災者との不公平」というのはまやかし

○法・社会の発展・進化
○同じ苦しみを味わう人を生まないために(被災者生活再建支援法も「阪神」後)
○「被災者の復興」「人間の復興」のために

緊急災害復旧融資据置延長打ち切り問題実例資料【T・Kさん】
 被災時の状況と借入金の経過
 大震災時31歳、須磨区でゴム底プレス加工業を家族経営。工場兼自宅が火災で全焼。
 震災の前年(94年)に2000万円の借入金(信用保証付1200万円・プロパー融資800万円)を行い、半年据置の後、支払いが始まるその月(95年1月)に震災に遭遇。金融機関の特例措置(既往債務の据置)で半年関宿置、同年7月から二目合わせて毎月25万円ほどの返済開始(1999年まで)、それ以降はプロパー・800万円分の返済(月額90000円ほど)は2003年まで。震災後の借入は、95年5月に「緊急災害復旧融資」を500:万円借り入れ、97年に「生活復興資金」を350万円借り入れ。「復旧融資」は据置措置を活用し現在まで元本据置(利子補給)、「生活復興資金」は毎月62000円を返済(利子補給)し、今年(05年)7月末で完済する予定。
 この10年間、休むまもなく返済に明け暮れてきた状況にあります。それを乗り越えてきたのは、第一一にT・K氏が「返済」を生活の第一一義的課題として働いてきた。第二に、「据置措置」や「利子補給」など制度をフルに活用してやっとやりくり出来て来たからであり、「復旧融資」の裕貴は、被災事業者にとって「命の綱」ともいえる役割を果たしてきたものです。

【図】T・K氏の借入返済の概要(各年の月別返済額/元金分として例示)


 1O年間のくらしの現実
 
 T・K氏は、依然として事業再建を果たせていません。しかし事業再建は彼の悲願です。借入返済は、事業のための信用を保持するためにも命がけでした。設備のための新たな借入など出来るはずがありません。保有する土地を売却できないのも「再建」を果たすためのものです。ケミカルシューズ関連の仕事は自分一人だけでは事業にならず、地域全体のものづくりと結合しなければなりません。ですから再建できていないのです。
 事業をしないまま返済するために、T・K氏は働きに出ました。95年から97年にかけては新聞配送(朔夕刊とも新聞店にトラック輸送)、そしてマット製造工場の深夜勤務と2重の仕事で働き、寝る時間も無くなった時期も長く続きました。98年以降は、広域輸送の米穀配送で身を粉にして働きました。返済を最優先にするために生活費が後回しになり、国民健康保険料も遅れがちになる暮らしです。
 95年から97年は仮設住宅、97年以後は復興住宅で暮らし、99年にはお兄さんを亡くしてしまいました。このお兄さんが、生前に記入した行政のアンケート調査票に「元の自営業にもどりたい」と書き込んでいたことが、その死後わかりました。こうした事情もあり、T・K氏は婚約者との結婚も先延ばしになり、昨年(04年10月13日)やっと結婚にこぎつけました。
 このT・K氏が、昨年12月の兵庫県・神戸市の「据置打ち切り」の報に接したときは、「やっと水面に顔を出そうとしたところから、また突き落とされた。いよいよ『見捨てられた』という気持ちになった」と語りました。