■「銀行の貸し手責任を問う会・関西」の第九期定例総会終わる
◆2010年の活動報告と2011年の運動方針」を決定◆
<2010.12.04>


 銀行の貸し手責任を問う会・関西(会長・高氏和仁、代表世話人・甲斐道太郎大阪市大名誉教授、辻公雄弁護士)は2010年12月4日、大阪市中央区のOMMビル会議室で、第9期定例総会を開催しました。目的は、銀行の貸し手責任を問う会・関西の基本理念に基づき、あらゆる金融トラブルに立ち向かい、合わせて正しい金融行政の確立を目指す運動方針を練り上げるためです。 銀行被害者や元大手銀行員、金融問題研究者らが出席しました。同会は東京センターの「銀行の貸し手責任を問う会」(千代田区永田町)と提携し、関西地域で活動。どんな運動内容かは2009年10月1日〜2010年9月30日までの「活動概要」(別ページ)でご覧下さい。
 式次第は別項(←クリック)のとおりです。約3時間にわたる議論の末、「2010年の活動報告と2011年の運動方針」を決定、10項目の宣言スローガン(←クリック)を採択し終了しました。本題の新運動方針の大要は下記の通りです。
             
   銀行の貸し手責任を問う2010年の活動報告と
    2011年の運動方針
  「会」を取り巻く情勢
 


銀行の貸し手責任を問う会とRCC・金融サービサーの無法回収を許さない銀行被害者の会

 銀行被害者を取り巻く環境は依然、厳しいものがあります。リーマンショツクのあおりを受け、大揺れが続いており、デフレ的局面からの脱却は容易とは思えません。財政は大盤振る舞い、金融政策はジャブジャブの垂れ流しが続いているのにかかわらず、日本経済を回復軌道に乗せるシナリオはなく、右往左往状態です。それでも民主党政権の登場で、自公の財界べったりの中小零細企業・家業無視の政策に比べれば「中小企業の資金繰り支援の対策など一定の成果は出ております。

  昨年末、施行された金融円滑化法は中小企業や住宅ローンの借り手支援を目的にしたもので、銀行は借り手の求めに応じてできる限り返済条件の変更に務めることを定めています。
 ローン金利引下げ・負担軽減に役立っています。助かった零細業者も多いのです。
 

銀行の貸し手責任を問う会の金融庁
要請行動<2009.10.9>

亀井静香・金融担当相(当時)は「出来る限り返済条件の変更に勉めるよう」という定めについて「(RCCなど)政府系金融機関は民間以上に守らなければならない」と答弁しています。2011年3月までの時限立法ですが、ぜひとも延長が求められます。
  しかし、全体的に見まして関西経済、なかんずく大阪は「物が売れない」、「仕事が回ってこない」、「就職先がない」など悲鳴が上がっており、中小零細企業・ 家業の廃業件数、失業率、自殺件数、犯罪件数、ホームレス数などネガティブな数字が飛びぬけた高水準にあります。
 

地盤沈下どころか、公的資金が注入された銀行など一部の地帯を除いては、どん底を這っています。
 菅内閣は「最小不幸社会」の実現をスローガンにしておりますが、残念ながらその具体策は何もでてきていません。庶民の政治家である限り、パブル崩壊後20年、『IOO万人を破滅させた大銀行の犯罪』が見えないはずはありません。
 この「大銀行の犯罪」は自公政権の不作為によるものとはいえ、この「不幸社会」をチェンジしてもらう、その期待の応えてもらわなければなりません。
 そのためにも財界・金融業界やアメリカの手前勝手な自己本位政策それに引きずられているところが気になるところです。マニフェストに書かれた「国民本位の政治」、これが貫かれるかどうか、これが評価の基準でしょう。
 その国民(一般大衆)の声を轟かせる運動がいまひとつ元気のないのも気になるところです。
 これだけ厳しい経済状況にも拘らず、取りわけ力のある労組の頑張りが街頭では見えません。
 自公政権を倒した、その勢いに乗っての攻めの好機に手をこまねいている様子です。もっとも 大阪で最も戦闘的といわれていた釜共闘と生コン労組の指導者が公務施行妨害などで相次いで 実刑判決、そして下獄といった厳しい現実が運動をシュリンクさせていると言われています。
 その一面も否定できません。

  この一年の活動

 ◇個別案件の取り組み:
 毎月の世話人会の後の相談会に銀行被害者(会員)の方に来ていただいております。そして相談員の方と共に知恵を出し合い、闘い方を納得の行くまで話し合ってもらっています。ただ、このところ新規案件は少なくなっていますが、焦げ付き∴ト件はまだ、まだ多いのです。
 事務局や世話人宅に架電された案件は相談員に取り付いています。それぞれご苦労しておられるが、多くは「敗戦処理」です。それも担保物権の処分ですが、不動産市場の低迷で思うように進まないのが実情です。しかし、「物件が想定外の引き合いがあり商談がまとまり、債務を返済して老後資金を確保した」というT氏のケースもあります。T氏は相談会に毎月こられており、不動産業界に詳しい相談員から情報収集をしてこられたことが、よい出会いにつながり、マリーに結びついたようです。ほかにも、最終解決には途してはいませんが、相談員から対銀行闘争の進め方やアイデアを貰い、一段落したという方も出ています。
 ただ、案件がこじれてきますと身内同士の争いに問題を「転嫁」させられているのも一つの傾向です。手持ち資産を巡って銀行の攻めに身内が団結するのでなく、分断させられているのは悲しいことです。全体的には、相談案件そのものが減ってきております。
 それは銀行の貸し渋り・貸し剥がし≠竏「漕な取立てがなくなったという事と同義ではありません。そこが問題といえます。それにバプル崩壊後の被害と中身・内容の異なる、例えば住宅ローン問題などの被害者が出ていることです。相談会がこれら新しい問題の掘り起こしをやっていかねぱと考えています。

 ◇全体案件の取り組み:

 銀行被害者が抱える全体的な問題は他団体ともできるだけ共同歩調をとることを旨としております。姉妹団体であります「銀行の貸し手責任を問う会・東京」 とのタイアップは当然のこととして、クレサラ対策協議会や銀行労働者の組合・ 銀行産業労働組合とも関係を密にするようしてまいりました。国家公務員労組共闘とも、その統一行動に参加し、「会」の要求獲得に努力しました。
 そのなかで銀行の貸し手責任を問う会・東京がつくられたパンフ(2010 − 2) は「会」の宣伝に大きく役立ちました。「会」の理解を求める活動を進めるなかで百聞一見にしかず的役割を果たしたと思っております。クレサラ対策協で申せばサラ金被害者の方々が「最後の被害者が解決するまで戦う」というその団結と行動は私どもの「会」の鏡です。
  しかし、銀行被害者救済を考える時、行政の無能・不能はどうしょうがない状態を感じます。例えば、「会」は近畿財務局に対して毎年、国家公務員共闘と統一して要請行動を行っていますが、「会」などの要求に対して何にひとつ、問題の理解能力・思考能力・対応能力・解決能力がありません。一応、会合の席には何人もの役人は出てきますが、幹部はしらんぷりして出てこない。旧大蔵省の不正事件で、財務省と金融庁は分離されたのに地方は一体という矛盾が機能を麻卑しています。それに、役立たずの近財廃止が行政改革の中で決まっているだけに役人はやる気喪失なのでしょう。たまたま、近畿財務局を槍玉に挙げましたが、行政組織そのものが形を成さず、崩れていっているのでないかと思わぬでもないのです。大阪府・大阪市も同様で、「銀行の貸し手責任」というそのこと自体が判っていない、したがって銀行被害者の存在も見えていないのが実情です。
  そこで、「会」はこの一年、運動を民主党政権に向けて行いました。当初、民主党は陳情を幹事長室―手引き受けとする組織決定をし、チヤンネルを地方組織にすることを決めました。
  そこで「会」は民主党大阪府連と接触を密にしまして要望書、請願書を連発しました。具体的には小沢一郎幹事長(当時。以下同じ)を宛先にし、同文の文書を仙石由人国務大臣・国家戦略担当宛、亀井静香国務大臣・金融担当、千葉景子法務大臣らに送付しました。
  要望・請願・陳情の中身は前年の「会」総会で決定された運動方針に盛られた内容に添ったものです。(一)連帯保証人制度の廃止 (一)民事訴訟法228条4項の廃止(一)「残債免除」の法制化(一)遅延損害金の高利見直し(一)銀行法を改正して「貸し手責任」条項の盛り込み(一)裁判を受ける権利(高額印紙代是正)の保証(一)「変額保険被害者の救済」(一)差し入れ方式の禁止  (一)「金融消費者保護法(金融サービス・市場法)」の制定(一)「金融サービ サー法」の改正――などです。
 「会」はこれまで総選挙があります度に各政党に「陳情書」などを出しておりました。しかし、これまで自公の政権政党からは常に門前払いを食わされてきました。この点、民主党政権は明らかに違いを示しました。「会」の声を聞くというという耳を持ったことです。
 問題は実行できるかどうかです。「会」の提出した請願書は民主党大阪府連を通じ内閣に届けられました。それは平野官房長官から直接、「会」についての問い合わせが入ったことを確認しました。
 しかし、その後の事態の推移は鳩山内閣が倒れ、後継の菅内閣は選挙で敗北、党内抗争で勝利し総裁に再選されたたものの政治は迷走し、国民の声から離れて言っているのが実情で、会の「請願書」も忘れられているのでないかと杞憂しています。
 その後も、民主党大阪府違を窓口にもの申しています。請願書一枚で政治が動くとは思っていませんが、「まず、「会」の提言について意見交換したい」と申し入れています。それに対して民意を受け入れる陳情システムは動いており、党議員は鋭意努力しているといっています。何処まで期待できるか、今後も発破をかけて粘り強く働きかけていかねばなりません。
 この観点から「会」は先の参院選挙でも多少とも関りのある一新会の前田勇吉候補者等に声援の檄を送りました。「東京の会」のように日常的に政治家との接触は少ないのですが、大阪選出の熊谷議員とも懇談、「問う会」の活動への理解を求めました。
  
  問題点は何であったか
 
 反省多い一年でありました。収穫は何々であったかと振り返りますと、赫々たる戦果を数え上げることは出来ませんでした。総会のこの場で、ありていに実情を報告して、会員各位のご意見をお聞きして「会」の活動の盛り上げ、組織の活性化のきっかけにいたしたいと考えます。いまは、ある意味で「会」は危機存亡の時にあるといえるからです。
   まず、活動の現況を見ていきます。
   (i)会員の数は一時、250人(登録数)を超えていましたが、ジリ貧で、
  10年度の年会費(3千円)納入者は 20人。今回総会案内をお送りしたのは188人。返事を貰った方は 26人。うち出席は9人。宛名不明で郵便物が帰って来る数も多いのです。一人一人のご事情はわからないのが多いのですが、気懸かりの方も何人もおられます。
   世話人会・事務局会無は毎月、開いていますが、世話人は17人おられますが、出席数は平均で5−6人。一年間で一度も出席しない世話人は9人。多くは体調不良で外出もままならず欠席ということです。なにぷん、銀行とのバトルが始まって20年、当時60年代の方は80年代、精神的にも、肉体的にも物理的限界に直面されておられるようです。
  (A)たとえ「会」活動に意欲的な世話人も会員も借財返済のための仕事に追われておられるのが実情で“休眠会員”も増えています。パプル崩壊後20年=“失われた20年”はあまりにも長い年月です。結果として「会」活動の低迷です。
 問題は双方から起こっています。会員からすれば、「会」は期待に応える仕事をしていない、年間3千円も支払っているのだぞ、というお叱りとなります。
 「会」を預かる世話人会からすれば、会員の皆さんが積極的に例会に参加し、運営にも参画していただきたい、いろいろと提案もしていただきたいのです。例えば、毎春、御堂筋でビラまきをやっていますが、今年の参加者は2人という散々たる有様でした。これでは残念ながら、双方尻すぽみで、全般的に活動の低迷から脱却できないのです。
  (B)世話入会の責任・指導力が問題と認識していますが、現状では、新たなイベントを打つことが難しいのです。新しいイベントを打たないと会員の増強難しく、悪循環に陥ります。二年前のことになりますが、甲斐道太郎代表を囲む勉強会を持ちました際、出席者が少なくがっかりでした。「会」は民法の大権威を代表に持ちながら、なぜ、先生の知恵を貰おうとしないのか不思議に思いました。このことは新しいイベントを打ちにくくなっているということです。
実は、連帯保証廃止間題は「会」発足以来の最重要課題としていますが、いま、動き出してきています。日本弁護士会も本腰を入れだしました。クレサラ対策協議会も声を上げだしました。そのクレサラ対策協から、「連帯保証廃止のシンポジウム」をおやりになれば協力しますと呼ぴかけが来ています。ぜひやりたいと思うのですが、果たして動員力・資金力など、その「体力」があるかで悩んでいます。何とかブレークしたいものです。

  これからの闘いをどう進めていくか
   ――新年度の活動方針――

 前述した2010年の問題点、これらをどう乗り越えていくかが新年度の課題であり、活動の方針であります。その多くは「会」発足以来の課題でありますが引き続き地道に取り組んでいきます。一つは全体的な課題への取り組み、二つ目には被害者個々の問題への対応、三つ目は「会」組織充実への取り組み、四つ目は運動の進め方です。

 (I)全体的な問題の取り組み

 「問う会・関西」は2011年も[連帯保証人制度の廃止]、[民事訴訟法228条4項の廃止]。[「残債の免除」の法制化]、[遅延損害金の高利見直し]、[銀行法の抜本的改正 −「貸して責任」条項の盛り込み]、[裁判を受ける権利擁護]、[変額保険金被害者救済]、[金融消費者保護法(金融サービス・市場法)の法制化]、[金融サービサー法の改正]などに声を上げ、実現を目指します。
 これまでの自公政権では相手にされなかった案件ですが、政権交代で<風>は多少変わっており、頑張りが必要です。とくに民法(債権法)改正が俎上にのぽっており、法制審議会で作業が進められだしましただけに好機なのです、
  「金融消費者保護法」、「金融サービサー法の改正」は「問う会・東京」が指導的役割を果たしておられるので、「問う会・関西」は験尾に付し、同一行動をとっていく方針です。

  [連帯保証人制度の廃止]

 「問う会・関西」は発足以来、連帯保証人制度ぞのものの廃止を求めております。私どもが大声を上げてきましたこともあり、2004年の法改正で、これまでの「青天井・無期限」という徹底した保鉦人殺し条項≠ヘ外されました。現行法の欠陥が遅まきながら改善されることとなり、この限り一歩前進でした。
 しかし、法制審議会で論じられた中心は本人(=当事者)保証(経営者保証)であり、制度としての連帯保証については指一本触れることはなされず、温存されままです。
  「会」は「保証制度そのものの見直し」を求めましたが、役人どもは馬耳東風、法制審議会は役人の書いたシナリオどおり役目を果たしたということでした。しかし、政権交代という追い風の中で、民法(債権法)の抜本的改正に動きだしました。この機会を捕らえねばなりません。
  「会」はなにを求めているか。連帯保証制度の全廃であります。
 そもそも連帯保証人を取るという制度は一口で申して封建遺制であります。現代の商取引にはなじまないものと判断しております。
 連帯保証人として判をつくという行為は情に泣きつく「情義性」、反対給付を求めない 「利他性」、一銭の得にならない「無償性」、商取引に経済外行為を持ち込む「人的責任制」によって成りたっているものです。それに「何も知らなかった」という「未必性」 「軽率性」によって、一種の編しに依ってなりたっています。その結果、「判」をついた責任ということで財産を失うだけでなく、生命まで取り上げられることが日常的に行われているのです。「反良俗」「不合理」「反人道」そのものです。
 私どもの「会」が、とりわけ注視しておりますのは銀行融資には制度化された公的な保証協会が存在しており、パックアップされていることです。また、リスクヘッジのため債権の転売や証券化も行われております。にかかわらず、二重に個人保証を求め、連帯責任を押しつけているのです。不都合、不合理の典型であります。
 銀行が市場取引の場の出来事を市民の暮らしの場に持ち込み、安寧な生活に波乱を起こし、収奪を繰り返す、この連帯保証制度の廃止を強く求めます。連帯保証制度の根底に置かれておりますのが(自民党が固執した)債権者の権利擁護です。
  「会」は「債権者の権利」よりも「債務者の権利」を守る、市民の暮らしを優位に考えるということです。この視点からすれば、当然、入居、入院などのさい直面する、暮らしの中にある<連帯保証制度>も点検課題になるといえます。いま、まさにその点が問われ出し、連帯保鉦廃止の幅広い声が出始めいいます。
 一、二の事例を上げます。一つはアパート人居のさい、「家賃保険」と連帯保証人の判との二本立てになっているところが増えています。その際、リスク・ヘッジの保険を店子がかけるという理不尽なことが当然視されています。その押しつけが怒りをかっています。もう一つは外人が連帯保鉦を問題にしだしています。「文部科学広報」紙によりますと、
留学生が来日して一番困るのは連帯保証人を取る必要があることです。大学側は授業料などの未納を心配するのでしょう。このため教員が判をついてやる事例が増えているようですが、これが教員の負担になっていることが伝えられています。
 これらの問題をも踏まえて亀井静香・金融担当大臣(前)は「連帯保証廃止の検討」を表明されました。この流れを活かしていかねばなりません。

  [民事訴訟法228条4項の廃止]

 金融機関の「不良債権処理」に随伴しているのが連帯保証の被害者です。その多くが印鑑被害者です。知人・縁者に頼まれ事情も分からぬまま印鑑を押し、その揚げ句は丸裸にされています。 何一つ説明責任が果たされないまま「判をついた」そのことが一人歩きしています。このため「判さえ取ればこっちのもの」という悪徳商法が蔓延しています。それを法的に支えているのは「私文書の成立」をうたった民訴法228条4項です。
 その4項では「私文書は、本人又はその代理人の署名又は押印があるときは、真正に成立したものと推定する」となっています。「署名と押印」ではなく「署名又は押印」です。このため銀行被害者は銀行員に「ちょっと印鑑貸して頂戴」といわれて渡したのが命取りとなっているのです。パプル崩壊前までは銀行と取引先の中小零細企業・家業の関係は、ある意味で“牧歌的な’信頼関係があったのです。行員のいうがままに印鑑を渡し、契約書などを「差し入れ」ていたのです。
 パプル崩壊後に銀行は牙を剥き、悪徳高利貸しの本性を現したのですが、被害者はそれに対抗する反鉦の術はなかったのです。裁判官は銀行被害者の訴えに耳を貸さず、「押印」だけでもって常に銀行に軍配を上げています。ほぽ100%が228条4項の犠牲になっています。被害者といえば、日常的にもピッキング被害の続発があるのも「盗まれた印鑑」さえあればニセの署名でもまかり通り、銀行を免責しています。おかしな話です。
 世界でも珍しいとされる判子文化=Aこのためにどれだけ数多くの家庭破壊が起こっていますか。この項目が民訴法に盛り込まれたのは大正初めとされております。当時に比ぺると印鑑の偽造「技術」も進んでいるのも明らかです。にもかかわらず最高裁は1964年の判決で「印鑑が押されてあれば本人の意思に基づいて作成された文書であると推定される」と拡大解釈して、悪用されるケースを黙認、御墨付きを与えている始末です。裁判官の頭を疑います。
  「問う会」は発足以来、「銀行の貸し手責任を問う会・東京」とタイアップして民訴法228条4項の廃止を求めて声を上げてまいりました。廃止のための要請書を関係各所に送付したり、ビラ配付などして参りました。
 2003年の通常国会では、当時の森山真弓法務大臣から「民訴法228条4項は時代にそぐわなくなっているから法律改正の必要がある」という答弁がありました。しかし、大臣が変わりますとうやむやとなりました。そして今日に至っております。銀行の反対で法務省の役人が働かないとの説明を受けました。役人主導の政治の限界を見てがっかりしております。民主党のいう政治家主導の対応があれば銀行協会の反対を押しつぷし、大正時代のこの条項を廃止できるのです。その声を民主党に届けましょう。
 
   [悪徳サービサーの規制強化を]

 いま、銀行被害者の前に立ちはだかっているのはサーピサーです。銀行が「取るものを取った」後、被害者の前から逃げ、代わって取り立ての先頭を切っております。
 債権整理回収機構(RCC)はじめ、どのサービサーもそうですが、儲けのために被害者を徹底的に追い詰めています。銀行と取引先との関係は長年のいわく因縁があるものですが、それが突然遮断され、取立て人としてのサービサーが現われますから冷酷かつ露骨な取り立てとなっています。
  「債権管理回収業に関する特別措置法」が、1998年恐慌の最中に制定され、債権回収業者が業として公認されました。‘自由化・市場化・アメリカ化’の流れの中で登場した機種で、様々な問題や混乱を引き起こしています。
 問題の一つはサービサー法の成立が銀行の「債権の証券化」「債権譲渡」の動きと軌を一にしています。アングロサクソンの仕掛けたBIS規制対策もあって、その受け皿作りといえます。加害者の視点だけで、銀行被害者には何にひとつ考慮されたものではないということです。
 債務者の同意もなしに債権の売買が行われているのが実情であります。なかには債券売買の通知もないというケースもあります。
 この「債権の譲渡」「債権の証券化」はリーマン・ショックを呼び起こした一因になっているもので、債権・債務者の関係をあいまいにしており、その是非も検討されるべきでありましょう。
 サーピサー業務は金融機関の不良債権の回収が目的とされていたと認識しておりますが、様々な債権回収を目的とするサーピサーが現われているようです。IT大手のヤフーから覚えのない債権の請求があり、放置しておくと、その後、サービサーからその請求が来たという相談が舞い込みました。そのさい「放置すれば遅延損害金14%がかかることを承知しておけ」といわれたといいます。
 現行サーピサーは年金の掛け金や地方税それに公営家賃など延滞分の徴収を新規事業にしようと法改正に動いているようです。「延滞」が生じる原因こそが問題です。民主党の政策業には「サービサーの強引な取り立てへの規制」が謳っています。国民に約束した規制を実施し、よってくる「原因」にメスを入れてその対策を講じてもらいたいのです。
 その対策の一つとして、アメリカ発のサププライム恐慌に際して、現地からの報道では住宅ローンの支払いの出来なくなった債務者は自宅から退去することで、債権・債務関係は解消さ.れ、別の人生を切り開いていっているとのことです。担保となった居宅は競売に
付されるが、債務者はそれ以上の追及は受けることはありません。
 ところがわが日本では、住宅価格の下落で生じる残債は債務者=銀行被害者の責任でトコトン追及されています。ここ数年前まではなかった現象です。とりわけサービサー法ができて、えげつない取立て屋が横行しております。地価の下落の責任を銀行被害者に押しつける阿漕な銀行のやり方は規制すべきであり、せめてアメリカ並みの残債猶予を制度化すべきでありましょう。

  [裁判を受ける権利の保証]

 司法を国民のものにする幅広い運動が起こっております。その波の上にたって国民の裁判を受ける権利という憲法的原則を取上げます。
 銀行被害者は最後の段階で藁をも掴む思いで裁判闘争に入りますが、裁判には驚くべき費用がかかります。とりわけ銀行融資に絡む裁判は債権債務額が大きいだけに印紙代も巨額になります。
 問題はそれに加えて上級審に上げる程、“裁判代’は膨れるということです。アメリカの裁判制度では10ドル(900円)均一といわれており、わが国とは雲泥の差があります。この高い印紙代のため控訴、あるいは上告を断念したケースは「会」の中でも数多く見られます。
 私どもの会合に出席して頂いた、ある最高裁判事の説明によりますと、日本の裁判費用が高価なのは明治政府が日露戦争のための戦費調達に使ったためと語っていました。その説明が正しいとすれば、日露戦後100年近くも「戦費調達」のため法外な裁判費用を支払わされていることとなります。
 乱訴防止のためという説明もあります。この考え方では資産階級は上級審を活用できるが、プアーな者は泣き寝入りせよというのに等しくなります。
 いずれにしましてもこの高価な印紙代問題は最高裁事務局の判断で決まるのでなく、政府の所管事項ということです。もっとリーズプナルな費用設定し、国民が裁判を受ける権利を守るべく働きかけていかねばなりません。

[銀行聖域論を糾し、銀行法を改正し,「貸し手責任」条項の盛り込み]

 パプル崩壊後、関西では数多くの中小・零細企業・家業が銀行の「貸し渋り・貸し剥がし」で累々たる倒産の山を築きました。それに輪を掛けたのが、小泉・竹中が進めた不良債権処理策で、銀行が「不良債権」と一方的に認定した企業群は次々と潰されていったわけです。「大阪沈没」といわれた現象で、中央と地方の格差拡大の典型例 となりました。.その後のリーマン・ショックで再び、関西の中小・零細企業・家業は瓦解の瀬戸際にあります。
 この間、銀行の再編成も急速に進みました。この過程で大銀行ぱ投資銀行化≠オていき、大きく変質していったのです。アメリカのいうがまま、するがままの‘自由化・市場化・アメリカ化’で、銀行と企業の関係は根底から変化したのです。
 98年恐慌が起こったさい、大手のほとんどの銀行は巨額の公的資金投入を繰り返し受けました。そのさい、時の宮沢蔵相は「銀行は日本産業の血液循環を担うという大変な役割を担っている」と弁明、銀行を擁護しました。果たしてそうでしょうか。その頃でも大手銀行の資金の使途の半分以上はマネーゲームに費やされていたのです。いや、現在でも本来的業務とされる企業への融資は半分以下に落ち込んだままです。つまり、銀行の公的役割を放擲してしまっているのです。そして、中小零細企業に対してぱ貸し渋り・貸し剥がしを繰り返しているのです。これでは銀行への公的資金投入は、「補助金」の給付で、それが単なる銀行の土盛りに終わっていることです。
 そのような状況の中で「問う会」は繰り返しパプル期以降の銀行責任の明確化を求めております。多額な公的資金の注入を受け、一部とはいえ巨額な国民負担(税金)で肩代わりさせた限りにおいて当然のことです。
 パプル崩壊後20年、銀行と銀行被害者の間で争われた様々な訴訟記録を点検していきますと、不合理、無慈悲な銀行の儲け本位の手法がまかり通っております。いかに大銀行の手口が犯罪的か驚くばかりです。しかし、裁判では被害者敗訴がほとんどです。裁判官は机上審理で「借りたものは返せ」という単純判決ばかりです。つまり、銀行が何重もの法制度で守られているかが判ります。やりたい放題が容認されているのです。銀行保護策が長々と続いてきたといえます。
 それだけではありません。様々な形で銀行批判を封じてきました。弁護士報酬の敗訴者負担法案などその一例です。銀行がたくらんだとされる、裁判に訴える権利を奪う悪法でしたが、私どもの「会」も参加した運動で潰すことができました。
 しかし、金融機関批判の高波から生まれた「貸金業法」(2006年改正、旧・貸金業規制法)「金融商品取引法」(2006年)は成立はしたものの最後の土壇場で銀行はその縛りの対象からすり抜けました。「100万人を破滅させた」といわれる銀行がなぜ、規制から一切外されるのか、全く理解できません。当時、「銀行の力を示した」とゴシップ風に書かれていたようですが、いずれにせよ銀行融資にはいまだ法的規制は何もないのです。何をやってもおとがめなし、これが悪徳商法を跋扈させたといえます。仄聞するところ当時の政権政党・自民党は大銀行からの何十億の借財をそのままにしているとのこと、これでは銀行の言いなりにならざるをえなかったのでありましょう。自民党政治が金に買われていた典型例ではないでしょうか。
 アメリカのオパマ・民主党政権は政権の座に着くや最初に打ち出した産業政策は銀行規制でありました。「ウオール街は許せない」と力強いメッセージを打ち出し、規制強化に乗り出しています。
 日本の状況も同じであります。しかし、「問う会」の銀行の改革、規制を求める声はなかなか広がりません。なぜか、メディアも銀行批判は渋っておる様子で、銀行がアンタッチャプルな領域となっています。
 「問う会」は銀行の儲け本位がまかり通っている背景には現行の銀行法に問題があると認識しています。一言でいえば戦後の高度成長時代の業法がいまなお幅を利かしており、銀行法もその業法の実体を持ったままです。
 銀行業の育成強化が各条項を通じて貫かれています。第一条には「銀行の業務の健全かつ適切な運営」が謳われ、戦後この方「銀」「官」癒着の船団行政≠ニいう保護行政が形を変えながら続いています。どの条文を探しましても「銀行の貸し手責任」については何一つ触れられておりません。
 申すまでもなく銀行と中小零細企業・家業との取引は「貸し手」と「借り手」の関係の上に成り立っております。「借り手」の責任は取引約款の中でも積め込まれていますが、強者の銀行の「貸し手の責任」は取引約款はもとより、銀行法の中でも免責されています。つまり、取引において「武器対等の原則」がないのです。不公平そのものです。
 「銀行の貸し手責任」が確立されれば、借り手の保護、預金者も含めた銀行被害者救済の道が開けると思慮します。「銀行の貸し手責任」が明確化されれば、銀行は強欲なマネーゲームにうつつを抜かすことはできなくなるでしょう。「銀行の貸し手責任」が法文化されれば、銀行の公的責任・社会的責任が明確化されます。
 闘いは「愚公、山を移す」の長期戦です。しかし、自公政権が崩れたことは「会」にとりましても‘100年に一度の好機’であります。銀行を聖域化する厚い壁を突破せねばなりません。新年度こそ大蛇を振るう、その一歩にしていきましょう。

 (II)個別案件の取り組み

 @引き続き相談会に力を入れていきます。相談会は月例の世話人会の後、大阪里道修町ピル402室で行っていきます。相談員の方には銀行との直接交渉も含めボランティアでの協力をお願いしております。「一人で悩んでいたが、相談員の方々と話し合う中で道筋が見えてきた。気分的にも楽になった」という声が何人からも届いております。相談会を会員以外の被害者にも広げるためどうするべきか、この宿題の解決が急がれています。
 A 課題の一つは会員の抱えておられる問題のフオローです。そのため追跡調査をしていくべきだとの声もあり、機関決定していきたいと話し合っています。
 これまで相談会にこられた方などの数は200人を超しています。しかしその後、かなりの方との連絡が途絶えています。これまで「会」の方からは積極的に声掛けをすることが時間的余裕もなく出来ておりませんでした。再考して行きます。
  「問題点は何であったか」で触れましたように、宛先不明で音信が途絶えた方も増えています。その中にはSOSを発しておられた方もいました。
 一例を挙げれば、箕面市のS女さんの場合。別居した夫の抱えた債務が暴力団がらみとなり、銀行から幾つかの訴訟を仕掛けられ、完敗、次々と依頼した四人の弁護士費用も膨らみ、払えず、自殺未遂。市民団体からの訴えで「会」が関わり、新たに弁護士紹介を行いましたが、途中で消息を絶たれてしまいました。S女さんの「弁護士さんは敗訴を法律と裁判官のせいにされますが、弁 護士責任もあるのでないですか」という訴えは、いまなお心に響いています。
 こういう方の救済こそ「会」の出番でもあるのです。「何ほどのことが出来るのか」という前に「なんとかしてあげねば」という「使命感」を持たねぱと思っております。

 (III)運動の進め方
 
 @「友好団体との連携・交流の強化」
 前年の総会でも触れましたが、「友好団体との連携・交流の強化」が柱です。私どもの「会」はまだまだ力量は小さいし、未熟であります。それだけに他団体の経験を学ぶことが必要です。発足以来の方針です。
 銀行の貸し手責任を問う会・東京とは一貫して連携を密にしております。金融庁や金融問題の議員連盟の動向などの情報を必要に応じて送付していただいております。とくに民主党との間に太いパイプを持っておられるのが強みです。昨年、東京では「銀行被害連絡会」を新たに立ち上げられましたが、そのパンフに見られますようにウーマンパワーを活用、夫婦二人三脚で運動に参加しておられる。私どもの「会」が見習はなければならない点であります。
 クレサラ対策協議会は悪徳サラ金大手・武富士を倒産に追い込むなど、その戦いは見事というほかありません。昨年の総会でも触れましたが、あの「目タマくりぬくぞ」の旧・日栄、旧・商工ファンドの息の根を「公約通り」止め、被害者の遺恨を晴らした、その運動のすごさに感服です。リーダーは弁護士・司法書士グループでしたが、クレザラ対策協傘下の「いちょうの会」(大阪)の運動は私どもの「会」にとってお手本です。クレジット被害、サラ金被害の方々がヒト・カネ・チエを出し合い、「最後の一人を救うまで」と輪を組んでおられる。 「会」も見習うべきだと思っております。
 金融産業労働組合始め労組とのタイアップが引き続き必要です。全労連系の協力が深まっていますが、それは全労連系の組合が協力的で、かつ熱心であるからです。「会」は党派的選択はしておりません。全労協もサポートしてくれています。次年度はぜひ、連合との関係も持ちたいものです。前大阪地域労組協議会(地域労組おおさか)には世話人の何人が個人加盟しました。出来るだけ輪を広げていかねぱならないからです。
 加えて言えば、中小企業家同友会、全国商業団体連合会との協力関係も強めなければなりません。これまでの交流がこのところ途絶えています。人不足のためパイプが切れてしまうのです。手を結ぶために努力しなければならぬと判断しています。

 (iv)「会」組織充実への取り組み


 @銀行被害者を結集するため「会員増強」を毎年のスローガンにしています。会員を増強して、組織を強化するには、中核となります「世話人会の強化」と司令塔となります「事務局強化」が必要で、喫緊の課題です。毎年、会員の方々にボランティア参加を呼びかけておりますが、応答をいただいておりません。提案力がないのは恥ずかしい限りですが、冒頭にも触れましたように総会の席でご一緒に考えていきたいのです。

 A組織強化・活動力の強化の観点から、世話入会に世話人の分業制についての提案が出されています。その実現が難しいとの判断なのか具体化は進んでおりません。いま一度、分業体制による責任制の確立を議論していきます。定期的な会報発行、ホームページの立ち上げのため不可欠と判断しているからです。
 以上、報告と提案です。(世話人・小嶋康生  記=2010年12月1日 )