< 金融取引紛争解決機構の必要性>
              ―「金融消費者」保護という考え方について
 
                                    九州共立大学   若色 敦子

長引く不況の中に、変額保険をはじめとしていわゆる金融被害をめぐる争いは泥沼化の様相を呈している。一時は被害者に有利な判決も出たものの、近年は、銀行の責任を否定するものが多いようだ。ともかく保険会社だけに説明義務も責任も押しつけているように見えるのは偏見か。このことは銀行自身の窮状によるなりふり構わぬ「不良債権処理」を自力再建と賞賛するおカミの態度により勇気づけられているようでもある。
 そもそもの間違いは、金融関連商品にかかわるのが「投資家」という玄人である、といういわば根強い偏見である。投資の大衆化とどこかの誰かが宣伝したのはもうだいぶ昔ではないか。証券・金融商品はバブル時代からどんどん小口化している。これはまさに「消費者」をターゲットにしたものに他ならない。
 「変額保険」はそれ自体多額であるが、ターゲットにされたものの多くは「保険」の名に惑わされた、あるいは相続税で子や孫が困惑する(とダマされた)と心配した年輩者や中小企業主である。
  いわゆる「消費者」が弱者であること、したがって事業者にしかるべきハンデをつけること=消費者保護は、長年の努力により、少しずつ勝ち取られてきた。しかし、金融・銀行関係商品については、昨年ようやく金融商品販売法が制定され、通常の顧客(以下、金融消費者という)と「特定顧客」=玄人の区別がつけられた。まだ道は遠い。
 現実の金融事件に直面したとき、金融消費者がまず困惑するのは、いかに行動すべきかのマニュアルもノウハウも持たないことである。
  裁判所の敷居は高い。金融事件に詳 しい弁護士を探すのも難しい。ようやく裁判にこぎ着けたところで、裁判官も万能の天才ではない。複雑な金融事件について、その背景まで含めて理解することは容易ではなかろう。法務部や顧問弁護士を用意し、難なく応戦してみせる事業者との力の差は圧倒的である。ここでも(たとえ本質は消費者であろうと)「投資家」であるという偏見は根強い。すでに資金難に直面している金融消費者は疲れ果てる。
 金融商品自体の有用性を否定するつもりはない。しかし、そこに何らかの紛争が起こることは避けられない。だとするならば、ここで必要なのは専門家による公正な調停機関であろう。現在提案されようとしている「金融取引紛争解決機構」案は、消費者団体・業界団体・公益団体からそれぞれ専門家を派遣し、調停・裁定するというものである。これなら少なくとも金融取引を理解しうる者の集団であるし、金融消費者の身になって考えてくれるメンバーが入るはずである。 銀行が誰彼かまわず強行手段を採りつつある現在、このような機構の整備は焦眉の急である。そうでなければ、多くの金融消費者たちは裁判所で四面楚歌のまま討ち死にするか、あるいは玄関にもたどり着けずに息絶えることであろう。