■『クレサラ(クレジット・サラ金)白書』2003年版(2003年11月号発行)
「印鑑社会の落とし穴…民訴法228条4項の問題点…」
 弁護士 椎名麻紗枝
   【目次】(リンク)
1.印鑑偏重社会
2.印鑑は、誰にとって利便か
3.消費者泣かせの悪法民訴法228条4項
4.印鑑偏重「ハンコ裁判」の弊害
5.民訴法228条4項廃止の意味
6.法廃止にむけた動き
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1.印鑑偏重社会

 我が国では、公法上の諸手続だけではなく、私法上の行為についても、印鑑を求められることが多い。すなわち、役所への出生届け、婚姻届けなどの戸籍関係の諸届け、登記関係の手続きの申請、印鑑証明書の交付申請などに印鑑が必要とされるだけではなく、売買契約、消費貸借契約などの法律行為にもとづく契約書はもちろんのこと、金員の受領からさらには宅急便の受け取りなど、日常の生活のあらゆる場面で、印鑑が必要とされている。
印鑑社会に慣らされてしまった我々は、印鑑制度の不合理に気がつかず、かえって印鑑はそれなりの利便性があるように思っている。
  しかし、外国人からは、日本の印鑑社会はとても奇異にうつるらしい。ある海外特派員の話だが、日本の銀行に預金口座を開設しようとしたところ、印鑑を要求され、印鑑は、持っていないので、パスポートを提示したところ、パスポートではだめだと言われ、近くのハンコやでファミリーネームに音が似た印鑑を買ってきて、銀行に届けたところ、口座開設に応じてくれたという。本人確認に、世界共通で認められているパスポートより、誰でも入手できる認め印を信用する日本の印鑑制度は、理解に苦しむと言う。
  もともと印鑑は、今から5000年前の古代メソポタミア(現イラク)から、中国を経て日本に到来したものである。しかし、現在では、イラクはもちろん、中国でも、印鑑は民間人の生活には、必要とはされていない。中国でハンコは、日本人がよく行く観光地で日本人向けにおみやげとして売られているだけであるという。

2.印鑑は、誰にとって利便か


  日本で、一般国民が印鑑を使うようになったのは、明治時代以降である。明治4年に廃藩置県を断行した明治政府が、中央集権化を推進するための一環として、同年、戸籍法を制定し、戸籍の管理にあたる庄屋、年寄りに印鑑証明を行わせたことが始まりである。
  登録印の制度は、明治11年7月25日太政官布告32号によって府県官職制改定のなかで定められてものを基盤にした。
 戦後は、印鑑証明は条例によって取り扱われることになった。地方自治法2条2項、3項16によって、地方公共団体に印鑑登録事務の処理が任され、昭和19年2月に自治省の通達で、印鑑登録に関する統一的見解が自治体に出された。
 しかし、今日まで、印鑑制度を統一的に規定した法律はない。契約書のような重要な文書ですら、印鑑は、必要とはされてはいない。
 民法の弁済、親族法(遺言)戸籍法29条、33条、商法、署名スベキ場合二関スル法律、手形法82条、小切手法67条、不動産登記法、商業登記法などが、これらの手続きに印鑑が必要なことを規定しているにすぎない。
  それなのに、なぜ、印鑑が、要求されていない文書にまで、印鑑が要求されるのか。印鑑が必要とされる理由については、1つには本人の意思確認と2つには、本人の同ー性の証明のためであると説明ざれている。
 しかし、本人の同一性を確認するためのものであれば、印鑑よりも、写真の貼付されている運転免許証やパスポートの方が確実である。
  また、本人の意思確認ということであれば、署名の方が、@偽造の困難性において、A他人による濫用の防止において優れている。
 それにもかかわらず、署名よりも印鑑が重視されるのはなぜか。
 その最大の理由には、「本人」の印鑑が押されている文書は、本人の意思にもとづくと推定されるという民訴法228条4項があるため、ハンコさえもらっておけば、取引の相手方の責任が軽減される仕組みになっているからである。

3.消費者泣かせの悪法民訴法228条4項

  印鑑の信頼性を定めた法律は、大正15年にできた民事訴訟法228粂4項である。
 同条文は、「私文書は、本人またはその代理人の署名または押印があるときは、真 正に成立したものと推定する」というものである。
  本来は、文書の真正を主張する者が、真正に成立したことを立証する責任がある ところ、民訴法228条4項の例外的規定により、契約書に署名捺印があれば、その 文書は、真正に成立したものと推定され、契約の成立を否定する者が、反証をあげ なければならないとされる。
  最高裁昭和39年判決は、印鑑は、署名と比べ、偽造しやすく、また他人による悪 用が容易であるのに、さらにこの規定を拡大解釈し、本人または代理人の印鑑が押 されていれば、本人の意思にもとづいて作成された文書であると推定されるとし、以後この判決(2段の推定と呼ばれている)が、裁判所の判例となっている。
  その結果、取引の相手方は、印鑑が本人のものであるということを証明しさえすれば、その文書は、本人の意思にもとづいて作成されたことを立証しなくとも済むのである。これは、大変大きな意味を待つ。本来は、契約の履行を求める者が、契約の成立の立証をしなければならないのに、契約書に本人の印鑑が押されている場合には、その契約書は、本人の意思にもとづいたものと推定され、立証責任が相手方に転換されてしまうのである。
 例えば、貸金を請求する場合は、貸金を請求する者(銀行等)・売買代金を請求するばあいは売買代金を請求する者(販売会社)が契約の成立を立証しなければならないのが原則であるが、契約書に本人の印鑑が押されていればそれを立証するだけで、逆に借り手や買い手が、その契約書は、本人の意思にもとづいていないことを反証しなければならない。
 言うまでもなく、印鑑が、本人のものかどうかの証明は、印鑑登録証明によって簡単にできる。したがって、銀行の側は、契約書と印鑑登録証明を提出すれば、それで契約の成立は立証できたことになる。銀行の立証責任は紙のごとく軽い。それに引き替え、借り手の側が、自分の意思にもとづいていないことの反証をあげることは至難の技である。借り手の側には、なんら反証する証拠を待っていないことが多いからである。
 借り手が銀行との裁判で、勝訴できない理由のひとつになっている。

4.印鑑偏重「ハンコ裁判」の弊害

 @Aさんのケース
   Aさんは、昭和62年に脳梗塞で倒れ、その後遺症のため痴呆状態になってしまっ
  ていた。しかも、Aさんは、第一勧銀から融資契約をしたとされる平成2年9月は、リハビリのため、妻に付き添われ、長野の温泉に長期治療に行っていたのであるから、契約をする筈はないとして、融資契約等は無効であると主張したが、1審判決は、Aさんには意思能力があったと認定した。さらに、判決は、契約書の署名は、Aさんの妻が代行したものであると決めつけ、Aさんの意思にもとづくものと認定して、Aさん側が敗訴した。控訴審判決は、署名は、Aさんの妻以外の者の手によると伺えると訂正しながら、Aさんの「署名自体は、何者の手によって行われたものか必ずしも、明らかではないが、その署名は、Aさんの承諾のもとにされたものと認められる以上、契約の成立に関する原審の認定を左右するものではない」とした。
 
 A Bさんのケース
   Bさんも、昭和63年11月にくも膜下出血で緊急入院して、一命ほとりとめかものの後遺症のため、痴呆状態にあり、以来、入院して、リハビリ治療をうけていた。
三菱銀行が立体駐車場建設資金として、1億4,000万円を融資したとする平成3年6月には、病院に入院中であり、とうてい融資契約などできる筈もないのに、東京地裁は、Bさんは、意思能力も十分あったとした上、契約書の署名捺印は、本人がしたと認められるから、「特段の反証のない限り、これらの契約書の作成部分は、いずれもBさんの意思にもとづいて顕出されたものと推定されるべきところ、Bさんの意思能力がなかったとは認められないから、特段の反証は効を奏せず、上記推定は、覆らなかったっものである」と判断した。
しかし、裁判所が認定したBさんの筆跡とされる契約書の署名は、ミミズが這ったようなとても字とは読めないようなもので、それ以外は、誰の筆跡かわからないものだ。
 Aさんのケース、Bさんのケースのいずれも、本人が痴呆状態のため、家裁の審判を得て二男が成年後見人として裁判を代行した。Aさん、Bさんのように痴呆状態の人の契約が有効と認められたケース、1,000万円の保証のつもりが、いつの間にか4億円の連帯保証人にされてしまったケースなど、いずれも印鑑がものをいって、裁判が負けてしまったJこれは、まさしく、調書裁判の民事版にほかならない。知られているとおり、刑事裁判において、公判廷での真実解明より取り調べ段階での調書がものをいうことから、調書裁判と鄭楡されているのであるが、民事裁判では、ハンコがものを言うという点では、ハンコ裁判というべきかもしれない。
 Aさん、Bさんのケースだけではなく、このような民訴法228条4項による信じられない被害は枚挙に暇がない。
 連帯保証の問題も、民訴法228条4項の問題だと言ってもよいくらいである。
 しかも、民訴法228条4項は、金融取引だけではなく、すべての取引に適用され、本人の印鑑が押されていれば、本人の意思にもとづく契約であると推定される結果、業者の説明義務は、形骸化されてしまっている。まさに、この法律は、消費者泣かせの悪法である。

5.民訴法228条4項廃止の意味


 @ 不公正な裁判の是正
  民事裁判の理念は、裁判の公正である。それを実質的に担保するものが、武器対等の原則である。武器が対等でなければ、公正な裁判は、実現しない。立証責任も、そのような観点から、分配されなければならないというのが、近代民事訴訟法の大きな流れとなっている。その結果、証拠に近接する当事者に、立証責任を負担させるのが、公平であるとされる。
 大正15年に民訴法225条4項(旧法では、民訴法336条)が創設されたが、これを創設するにあたり、国会では、立法化する意義については、ほとんど論議されていない。仮に、この法律に合理性があったとしても、現在は、この法律を規定した大正ユ5年当時と比べて、社会的経済的状況は、大きく変化している。
 現在は、貸し手は、金融機関などの業者であり、売り手は、販売業者であるのに対し、借り手あるいは買い手は、消費者であることが多い。情報において知識において、圧倒的力の格差がある消費者に立証責任を転換することは、情報格差のある消費者に多大な負担を負わせ、民事裁判制度の理念である「裁判における実質当事者平等の原則」に反する。
  一方、業者に本人の意思確認を行ったことの立証責任を課すことは業者に苛酷な負担を負わせることにはならない。業者は業務の一環として、売買、融資の交渉にあたっているのであるから、当然に記録した業務日報あるいは、意思確認記繰言などに交渉の経緯を詳細に記録している筈であり、それを提出すれば足りる筈である。
 
 A 不公正な取引の防止
 金融商品販売法をはじめ、消費者と業者との間には、大きな情報の格差があることを踏まえ、その格差を埋め、消費者が契約の内容を十分理解して、契約をするために、業者には、説明義務が課されている。
  しかし、本人の印鑑さえ押してあれば、その文書は、本人の意思にもとづいて作成されたと推定されることになれば、業者の説明義務は有名無実化させてしまう。民訴法228条および最高裁の判例の考えが、きちんと本人に会って、文書の内容を説明した上で、契約書に署名してもらうという当然のことがないがしろにされ、本人の印鑑さえとってしまえば、こっちのものという悪徳商法をはびこらせてしまっているのである。
 商工ローンの元従業員が告白しているように、会社の指示にもとづき、ともかくも書類にお客のハンコをとってしまえという営業が徹底して行われているのである。しかし、これは、商エローンだけの話ではない。銀行の営業の現場でも、横行していたことである。
 医療の現場では、よくインフォームドコンセントが言われるが、これは、医療行為に限られるものではない。一般に専門分野においては、一般顧客と専門家との間では、情報、知識において大きな格差があることから、専門家は、顧客が、十分な判断材料にもとづき、意思決定できるよう、可能な限りの情報を提供しなければならない。これが、説明義務が課される理由である。
  民訴法228条4項は、一般消費者に対するインフォームドコンセントに不可欠な説明義務を形骸化しているものであるから、これは、廃止されなければならない。
 
 B 企業のモラル向上
  本人の意思確認と合意の内容を企業が立証しなければならないという原則に立ち返ることになれば、企業は、そのために、本人に面接し、契約内容についても十分な説明が励行されることになり、企業のモラル向上につながる。企業のモラル向上といってもヽ企業はヽ儲けにつながらないとヽ法律などで強制しない限り、自主的にはやらないものだ。
  ちなみに、ピッキングでは、最近は、銀行も、暗証番号で確認するなどの対応措置をとるようになってきているが、それも、銀行が従来の対応を反省したからというよりは、銀行のずさんな預金払い出し業務に世論の批判が集まり、それに押されて裁判所も、銀行の過失を認めるようになってきているからである。

6.法廃止にむけた動き


 2003年2月27日に、国会で、初めて民訴法228条4項の問題が取り上げられた。
 質問したのは、山田敏雅衆議院議員(福山市長選立候補で失職)である。増田敏男
 法務副大臣も、「私も零細の出身ですから、これは考えられるなと受け止めました」
 と答弁し、森山法務大臣も、同集は、時代にそぐわなくなったものとして、法改正の検討の対象にすると答弁した。
 しかし、大臣の答弁にもかかわらず、法務省の官僚は消極的である。
おそらくは、ハンコ裁判を止めれば、裁判が遅延すると考えているからであろう。
 法務省は、表向きは、民訴法228条4項は、成立の推定にすぎず、内容の推定ではないといっているが、論弁である。
 Bさんの判決でも、「真正に成立した契約書によれば、借入金利、返済条件、返済期限さらには、履行期に返済がない場合には、競売に付されることを内容とする契約内容が記載されているのだから、契約内容に説明義務の内容が合まれているのだから、説明義務違反という主張はあたらない」と言っているとおり、裁判所は民訴法228条4項による内容の真実性まで推定しているのである。そもそも、内容を推定しなければ、成立を推定しただけでは意味がない。
  今、大きな社会問題になっている連帯保証のトラブルも、民訴法228条4項が廃止されることによって、半分以上は解決されると言ってよい。是非とも、世論を盛り上げ、早い廃止を実現しなければと考える。