●銀行の貸し手責任を問う会事務局長・椎名麻紗枝弁護士インタビューを
 掲載した朝日新聞連載記事

■朝日2007.02.16東京夕刊一面
(ニッポン人脈記)拝啓、渋沢栄一様A 
「人々のため」銀行の初心 モラル忘れ 取り立て非情


朝日2007.02.16付
 渋沢栄一(しぶさわえいいち)は1840年、武蔵の国、いまの埼玉県深谷市に生まれた。「最後の将軍」一橋慶喜(ひとつばしよしのぶ)に仕え、パリ万博視察を命じられた。そこで役人と対等に話すフランスの銀行家を目にする。
 明治になり、栄一は日本初の銀行、第一国立銀行を設立した。多くの人から資金を集め、やる気のある事業家に融資し、その利益を戻せば、人々のため、日本のためになると考えたのである。
 この銀行が第一銀行になり日本勧業銀行と合併、第一勧業銀行が生まれたのは1971年。総会屋との関係が始まるのはそのころだった。

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 1997年夏、江上剛(えがみごう)(53)は妻とともに、東京・谷中の霊園に眠る栄一の墓を訪ねた。当時、第一勧銀の広報部次長。総会屋への不正融資事件が一段落し、むしょうに創業者に会いたくなったのである。栄一の「人々のために」「モラルに背くな」という原点が忘れられてしまったことをわびたかった。
 総会屋事件の背景には「第一」と「勧業」の派閥争いがあった。頭取を順番に出したり、問題のある融資の責任を押しつけあったり。そこに総会屋につけこまれるすきができた。
 マスコミ担当の江上は経営陣の会議に出た。「(総会屋への)融資は問題ない」と甘くみていた役員たちに、涙ながらに訴えた。「返済されないまま放っておく。あなたたちは、そんないい加減な融資を私たちに教えましたか」

 97年5月、第一勧銀の本店が東京地検の捜索を受け、経営陣は総退陣した。6月末、頭取や会長を歴任し相談役になっていた宮崎邦次(みやざきくにじ)が自殺した。

 江上は、偉ぶらない宮崎を尊敬していた。「自殺はひきょうだ」という人もいたのが悔しくて、遺書をあえて公開する。宮崎は「断腸の想(おも)いで、身をもって責任を全うする」と謝罪し、再出発すれば素晴らしい銀行になると後輩への期待をつづっていた。

 実は江上自身も、誇れない仕事をしたことがある。89年、預金金利が自由化され、店頭に表示されたときだ。金利の高い銀行にお客が流れたら、業界の和が乱れる。江上は各行と大蔵省を調整し、ふたを開けてみればみんな横並び。30代にして金融界を動かす優越感にひたったが、「今思うと、ごうまんでした」。

 総会屋事件後、江上は総会屋系の雑誌の購読打ち切りにとりくむ。「担当者を出せ」。いかつい男たちがやってきた。対応のアドバイスなどを授けたのが警察庁にいた竹花豊(たけはなゆたか)(57)。のちに東京都副知事、警察庁局長をつとめた。

 02年4月、第一勧銀、富士、日本興業の3行が統合し、みずほフィナンシャルグループが誕生した。その直後、大規模なシステム障害が起き、しょっぱなから信用を失う。3行の派閥争いに遠因があった。

 江上も派閥争いに巻き込まれそうになる。「宮崎さんは自殺までしたのに」。もう自分の居場所はないと感じた。02年に「非情銀行」(新潮社)で小説家デビュー、03年に銀行をやめた。

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 「銀行の貸し手責任を問う会」ができて11年になる。事務局長の弁護士椎名麻紗枝(しいなまさえ)(64)は、あこぎな債権回収に苦しむ人々とともに闘い、泣いてきた。(注・椎名=記事末)
 バブル期、銀行は資産をもつ人々に相続税対策としてアパート経営などを勧めた。借金した人たちはバブル崩壊で返せなくなる。自宅を手放し、失意のまま亡くなった車いすの高齢の女性、無理心中を図った姉弟……。みずほ銀がからむ案件もいくつもある。「被害者の恨みは絶対に消えません」
 消費者の大半は金融の知識がない。「貸すだけ貸して、あとは自己責任、と突き放す。渋沢栄一さんが生きていたら、絶対に認めないはずです」と椎名。
 公的資金の投入や大規模再編で金融界は、経営の健全性を取り戻してきた。だが業績が回復したと思ったら、昨秋、政治献金を再開しようとした。目を向けたのは、人々ではなく、政治だった。江上にいわせれば「ほかにすることあるだろ」である。
 栄一が唱えた「人々のために」という銀行の初心。それが薄れてきてしまったと江上は思う。春から銀行員になる若者にはこう言いたい。「銀行は金もうけの事業ではなく、社会のインフラ。世のため、人のために働く喜びを知ってください」(中島隆)
                                      朝日新聞社

(注・椎名)=しかし、この12年間、泣いてばかりいたのではない。
 被害者とともに、前向きの解決をかちとった例も数多くある。そのよい例が、融資付変額保険の被害者の田崎さん夫妻のケースだ。
 このケースは、田崎さん夫妻が、東京三菱銀行本店に東京地裁の執行官を連れて現金8000万円の差し押さえを行ったことから、債務者が銀行に差し押さえを行った前代未聞の出来事として、テレビなどマスコミでも大きく報道された。銀行の酷さが、広く国民に知られるところとなった。そのほか、銀行に競売を取り下げさせたケースはいくらでもある。
 また、これまで、銀行は、債権譲渡には債務者の同意は不要という法律の建前をかさに債務者には通知もせずに、ハゲタカファンドや金融サービサーに「不良債権」を売却してきていた。最近では、金融庁の強い指導もあって、銀行は、債権譲渡には債務者の了解をとるようになってきているが、これも「銀行の貸し手責任を問う会」が、被害者とともに、金融庁に粘り強く訴えたからだ。
 被害者側に、正義があるかぎり、それを広く世論に訴え続ければ、世論は必ず味方してくれるものだと信じている。被害者は、決して諦めないで欲しいと痛感する。私は、「被害あるかぎり必ず救済の道あり」と堅く信じている。